藩の存続を左右する大事である以上、主君の親戚たちの了承が不可欠でした。
さらに主君の親戚たちの了承を取り付けたとしても、計画はこれで終わりではありません。
主君押込を成功させるためには、最後にして最大の難関である幕府の同意を取り付ける必要があるのです。
江戸幕府は基本的に、大名家の内部問題には深入りしません。
しかし、主君の押込ともなれば話は別です。
主君押込に対し、幕府は慎重に対応していました。
事を荒立てれば、藩内が混乱し、場合によっては幕府の権威に傷がつくからです。
そこで、幕府の重役たちは密かに「内意」を発し、「黙認」という形を取ることが多かったのです。
こうして、各方面への根回しを終え、家老たちはようやく主君押込を決行することができるのです。
押込められたとしても復活のチャンスはあった

押込の執行は、一種の儀式でした。
家老・重臣たちは主君の面前にずらりと列座し、最年長の家老が厳かに宣言します。
「お身持ちよろしからず。お慎みあるべき。(殿の行動はよくありません。しばらく反省していただきます。)」
こうして、家老の指揮のもと主君から手際よく大小の刀を取り上げ、その身柄を座敷牢へと運びます。
ここまでの流れが極めてスムーズなのは、こうした出来事が珍しくも何ともないからです。
しかし主君押込は、主君を座敷牢に閉じ込めさえすればこれで終わりというわけではありません。
主君押込の恐ろしさは、それが一発勝負のゲームではないという点にあります。
江戸初期の頃は、押込はすなわち強制隠居であったものの、時代が下るにつれ、「再出勤」という概念が生まれました。
つまり、主君が改心すれば、復帰の道が開かれるのです。
「わたくし、誠に深く反省いたしました。」
そう主君が認め、家老たちが「殿は心を入れ替えたのだ」と判断すれば、監禁が解かれ、再び君位へと戻ることができるのです。