とすれば社会では年層ごとに慣れ親しんだ土壌を基準としてビジネスが展開されているとも言えます。私はデパート廃止論者ですが、今から20年もすればデパートのファン層ですらおしゃれをして出かけるという行動が減る中、デパートに足を運ばなくなるし、運べなくなるわけで、その時このビジネスを誰がサポートするのか、といえばはなはだ疑問なわけです。
カナダで最も古い会社でもあるハドソン ベイという百貨店が先日、破綻し、ごく一部の店舗を残し、なくなってしまいます。アメリカでも多くの百貨店は消え去りましたが、これも時代の要請であり、北米は日本ほど人口が集積していないこともあり反応が早く出たというだけだとみています。
音楽などのテイストも同じでしょう。当地では80年代の音楽を専門に流すラジオ局が複数あり、私はもっぱらそちらのリスナー。先日、カナダのレコード大賞ともいえるJUNOアワードがバンクーバーで開催され、招待されたので伺いましたが、音楽シーンが大きく変わりすぎていて何が何だかさっぱりわからなかったというのが実情であります。
世相や常識観も当然ながら時代背景を映し出すし、働き方改革というのは昭和の人が今更新入社員になるわけではなく、平成時代後期の方、つまり2000年代初期に生まれた方々が育った2010年前後の世相を受けた価値観を強く反映させているはずです。これがもうしばらくすると安倍政権下での保守的世相を見てきた世代にとって代わればまたここは少しずつ変化してくるだろうとみています。
こう見るとそれこそ世代ごとにスタンダードがセットされており、常にその主流が入れ替わっているのが現代社会であります。当然ながら考え方や常識観も変わるわけで我々の世代が「べき論」を断じるわけにもいかないとも言えます。一方で国民全てが共有できる価値観は何処にあるのか、それを府あたりがきちんと表現することで日本人を共通する形で表現できたら良いでしょう。