そして、20世紀の共産主義政権による弾圧(1948~1989年)だ。チェコスロバキアは1948年、ソ連の影響下で共産主義政権となった。共産党政府は宗教を「反動的な思想」とみなし、教会を国家の管理下に置き、宗教活動を厳しく制限した。カトリック教会の財産は没収され、司祭たちは投獄された。宗教教育は学校から排除され、無神論が推奨された。
以上、①フス戦争、②ハプスブルク帝国下のカトリック化政策、③共産化と宗教弾圧を経て、冷戦後、チェコ国民は「宗教を信じる=時代遅れ・保守的」という価値観が広まり、個人主義と共に、世俗化が進んだ。
ただ、チェコ国民は「無宗教者」が多いが、「無神論者」とはいえない。多くは公式な宗教団体には属していないが、「スピリチュアルな存在を信じる」人も多く、精神的な思想には興味を持つ人が少なくない。チェコでは、宗教は個人のプライベートな問題として扱われている。その一方、クリスマスやイースターといった伝統的な宗教行事は、宗教的な意味よりも文化的なイベントとして楽しむ。多くの人が教会には行かず、家族と食事をしたり、プレゼントを交換したりする、といった具合いだ。
日本もチェコと同じように「無宗教の国」と言われることが多いが、両国の間には宗教観で違いがある。日本の場合、神道・仏教が根付くが、明治以降の近代化と戦後の世俗化で信仰が形式化。伝統的に仏教・神道を信仰しているとされるが、日常では意識しない人が多い。「無宗教」と言いつつも、神社参拝や墓参りなど宗教的行為を行う。初詣、祭り、葬式などは宗教的要素を含みながらも伝統行事として行う。先祖崇拝、八百万の神など「ゆるやかな信仰」が根付いている。
日本の「無宗教」は「宗教を持たない」というより、「宗教を特に意識していない」という意味合いが強い。例えば、「仏教徒」と言っても、お寺に頻繁に通う人は少なく、お葬式のときくらいしか仏教を意識しないというケースがほとんどだ。神社に初詣に行き、お寺で葬式をし、クリスマスを祝うといったように、宗教的行事を日常の習慣として受け入れる。すなわち、日本では宗教は「信仰するもの」ではなく「文化や伝統の一部」として存在しているわけだ。