サウル王について紹介したが、当方が関心を持った点は神が選んだ人物が一旦、その祝福を失った場合の苦悩の世界だ。神はアベルの供え物を受け取り、カインのそれは受け取らない。また、アブラハムの家庭では長男のイシマエルではなく、イサクを祝福し、イサクの家庭では長男エソウではなく次男ヤコブに祝福した話が旧約聖書に記述されている。なぜ神はカイン、イシマエル、エソウに祝福を与えなかったのか、という点は別の機会で考えるとして、「神の祝福」を受けた人物がそれを失った場合、どのような状況が生まれてくるかという点について考えた。
神は選んだ人物に預言者を通じて「油を注ぐ」。「神による選びと任命」を象徴する重要な儀式だ。この行為は神の召命を意味し、神がその人を特別な役割(王、祭司、預言者)に任命したことを示す。サウルの場合、彼がイスラエルの最初の王として選ばれたことを意味する。そして神の霊がその人物に宿り、導きと力を与えたわけだ(サムエル記上10:6)。
一方、「神の祝福」を失うとはどういう意味か。サウルは最初、神に選ばれた王として「神の祝福」を受けていたが、不従順な行動によってその祝福を失う。その結果、神の霊がサウルから離れ、代わりに「悪霊が彼を悩ませるようになった」。これは、サウル王が神の導きと守りを失い、精神的に不安定になったことを示している。神から見放された状態を指すわけだ。
サウル・ダビデ・ソロモンの3代の王国時代が終わった後、神の教えに従わなかった選民ユダヤ民族は南北朝に分裂し、捕虜生活を余儀なくされる。北イスラエルはBC721年、アッシリア帝国の捕虜となり、南ユダ王国はバビロニアの王ネブカデネザルの捕虜となったが、バビロニアがペルシャとの戦いに敗北した結果、ペルシャ帝国下に入った。そしてペルシャ王朝のクロス王はBC538年、ユダヤ民族を解放し、エルサレムに帰還させた。その後、ユダヤ民族は様々な試練を経ながら民族の解放者を待ち続ける。