ロシアのプーチン大統領が隣国ウクライナに軍事侵攻を開始して24日で丸3年が終わる。トランプ米大統領がホワイトハウスに復帰して以来、ウクライナの停戦問題がこれまで以上に現実味を帯びてきた。同時に、米ロ両国の対話が進む一方、米国とウクライナの関係が険悪化する様相を帯びてきた。また、米欧間でも隙間風が吹いてきた。

「国民の僕」の主人公、ウクライナ大統領役を演じるゼレンスキー氏(「arte」のメディアテークから、「国民の僕」第1シーズン23話目の最後のシーン)
トランプ氏やバンス米副大統領の発言内容がここにきてプーチン氏の独自のナラティブの世界に酷似してきたことに少々不気味さを感じる。ただし、ウクライナ停戦に意欲を持つトランプ氏の得意とするディールなのかもしれないから、現時点では余り憶測しないほういいだろう。いずれにしても、プーチ氏が米ロ首脳会談の早期開催に意欲を見せてきた。トランプ氏はウクライナ戦争では「公平」(ジャステス)求めず、停戦(和平)を最優先しているのではないか。
ちなみに、トランプ・プーチン米ロ首脳会談の開催日について、ラマダン(断食月、2月28日~4月1日)明けで、ローマ・カトリック教会と東方正教会が同じ4月20日に復活祭(イースター)を祝うことから、「4月20日前後開催」説が囁かれ出している。プーチン氏は自称、敬虔なロシア正教徒だ。
当方はウクライナの首都キーウから約1300㌔余り離れたウィーンに住んでいる。そのウィーンからウクライナの戦争をフォローしてきた。周囲には多くのウクライナ人の避難民がいる。彼らの生活もみてきた。しかし、暖房のない厳冬、3食も十分食べられない状況、警報のサイレンが鳴り響く現地のウクライナ人が感じている世界は知らない。ただ、その困窮状況を想像するだけだ。
戦争のない平和な日々を送っている人間が果たして戦時中の人々を理解できるだろうか、とよく自問する。ウクライナ戦争が開始する前、俳優だったゼレンスキー氏のTV映画「国民の僕」を観たことがある。当時のゼレンスキー氏の顔は童顔だった。戦争3年間後の同氏の顔はまったく違っている。3年間余りで若い人間がこれほど年を取ることが出来るか、と思った。戦争3年間の代価だ、といわれればそうかもしれない。(ウクライナ国営放送で放映された同氏が出演したヒットTV作品「国民の僕」は世界的に人気を呼んだ。同TVシリーズは2015年から19年の間放送された。ゼレンスキー氏が大統領に就任する直前まで放映された)