もちろんすべての人がそんな反応をしたわけではありません。一部の参加者では赦されたことによって感謝や謙虚さが高まり、それが謝罪の動機を高めるケースもありました。
しかし、それはごく限られた反応にすぎません。大勢の傾向としては、神に赦されたと感じることが、他者への謝罪という対人的な責任感を弱める方向に働くという作用が見られたのです。
この結果は、宗教的な赦しが常に人間関係の回復を促すとは限らないこと、そして個人の心の平安と、他者への償いとの間にズレを生む可能性があることを示唆しています。
神を見て隣人を見ていない…

この研究結果は、キリスト教文化圏であるアメリカのネット上でもさまざまな反響を呼んでいるようです。
海外掲示板のRedditでは、「自分の元恋人が不誠実な行動をしておきながら、教会で懺悔しただけで済ませていた」という体験談を語るユーザーも現れ、多くの共感を集めています。
宗教はままならない現実の問題に対して、救いを与えてくれます。けれど、そこに安心を求めすぎてしまうと、「神に謝ったから、それで終わり」と、自分に都合よく解釈してしまうことがあるかもしれません。
こうした問題はなにもキリスト教徒でなくても心当たりのあることでしょう。
もちろん、心の平安を得ることはとても大切です。でも、誰かに謝るべきことがあるなら、その「ごめんなさい」は神様ではなく、その人自身に伝える必要があるのかもしれません。
神が赦してくれても、あなたの隣にいる誰かは、まだその一言を待っているかもしれないのです。
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参考文献
Feeling forgiven by God can reduce the likelihood of apologizing, psychology study finds
https://www.psypost.org/feeling-forgiven-by-god-can-reduce-the-likelihood-of-apologizing-psychology-study-finds/