そこで研究チームは、宗教的な赦しが人間関係の修復にどのように影響するのかに注目しました。
キリスト教文化圏では、「神に赦してもらった」という感覚が強く根づいており、それが行動にも影響を与えているのではないかと考えたのです。
まず行われたのは、435人を対象にした実験です。
参加者には、過去に誰かを傷つけたり怒らせたりして、そのまま明確に解決せずに終わった出来事を思い出してもらい、それに対して「神に赦された」とどの程度感じているかを自己評価してもらいました。
続いて、その出来事に関する自己の赦しの感覚や、被害者に対して謝りたいと思う気持ちの強さも測定。その後、実際に被害者に宛てた謝罪メールを書いてもらい、どの程度誠意がこもっているかを調べました(メールは実際には送信されません)。
結果は明確でした。
神に赦されたと強く感じている人ほど、謝罪への意欲が低くなる傾向があったのです。つまり、神の赦しが罪悪感を和らげた結果、「謝る必要はもうない」と感じる人が多かったのです。
謝罪の気持ちが変わる仕組みと例外
この傾向をさらに裏づけるため、研究者たちは531人を対象に、もう一つの実験を行いました。
こちらでは、参加者に過去の過ちを思い出してもらったうえで、「神がその過ちを赦した」と想像するように誘導されたグループ、「赦されなかった」と考えるよう促されたグループ、そして何も言われなかったグループの3つに分けました。
その後、全員に自己の赦しや感謝、謙虚さの度合いを尋ね、さらに被害者に宛てたメールを書いてもらいました。このメールを、参加者の背景を知らない評価者が読み、謝罪の有無や誠実さ、後悔の表現の強さを判定しました。
結果として、「神に赦された」と感じたグループの多くは、謝罪の意欲が他のグループよりも明らかに低くなる傾向が示されました。
これは、神の赦しによって罪悪感が軽減されることで、心理的な「けじめ」がすでについたと感じてしまい、被害者に対する償いや謝罪の必要性を感じにくくなるためと考えられます。