牛乳を奪う魔術、病をもたらす呪い、嵐を呼ぶ力——そんな根拠のない疑いが、人々の間にまことしやかに囁かれ、恐怖が恐怖を生む悪循環が生まれました。
こうして、異端とされた賢者たちは裁かれ、拷問の果てに自白を強要され、火刑台に立たされました。
やがて、狂気の嵐が去ったとき、人々はようやく気がつくのです。
彼女たちは本当に魔女だったのか、それともただの知恵を持つ女性たちだったのか——と。
男性も魔女と認定されて殺されることがあった

かくして、魔女狩りという狂乱の宴は、幾度も波を繰り返しながらヨーロッパを席巻しました。
1630年頃の嵐が去ったかと思えば、1660年頃にまたもや第三波が襲来し、説教者シュピッツェリウスなる男は『暗闇の破られた力』なる書物をもって、魔女と子供たちの関係を熱心に論じたのです。
もはや犠牲者は老女ばかりではなく、少年魔術師と認定された若い男性も次々に処刑される奇怪な時代が訪れました。
この頃、ドイツのカルフでは、子供たちが我こそは魔女なりと名乗りを上げ、互いを魔女と告発するという異様な出来事が巻き起こりました。
魔女狩り推進派は、「子供の自白こそ魔女理論の確固たる証拠である!」と息巻き、ますます事態は混迷を極めます。
しかし、理性の光はこの闇を裂きました。啓蒙思想家トマジウスが『魔術の悪習についての概説』を発表し、「魔女など妄想に過ぎぬ」と論破したのです。
そして人々は気づきました。魔女とは、子供たちの口から生まれ、子供たちの口によって葬られる存在ではないかと。
かくしてヨーロッパの魔女狩りは終焉へと向かっていったのでした。
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参考文献
関西大学学術リポジトリ
https://kansai-u.repo.nii.ac.jp/records/13998