その昔、ヨーロッパの地には黒き影が漂っていました。
すなわち、魔女狩りです。
魔女狩りによって多くの人が命を落とすこととなりましたが、その詳細についてはあまり知られていません。
どうして魔女狩りが起こったのでしょうか?またどのような人が魔女であると考えられていたのでしょうか?
この記事では魔女狩りがなぜ起こったのか、魔女はどのようなことをしていると考えられていたのか、どういう人が魔女とされたのかについて紹介していきます。
なおこの研究は、奥田紀代子(2005)『史実の「魔女狩り」 : 魔女の幻影に怯えた人々』独逸文學49巻p. 245-268に詳細が書かれています。
目次
- 推定4万5000人の魔女を殺害した中世ヨーロッパ社会
- シャーマンに近い存在と考えられてきた魔女
- 男性も魔女と認定されて殺されることがあった
推定4万5000人の魔女を殺害した中世ヨーロッパ社会

魔女狩りの狂騒は、一様に広がったわけではなく、地域ごとに波がありました。
最初の魔女裁判は14世紀から15世紀初頭にかけて、フランスやスイスで幕を開けたのです。
中でもドイツの熱狂ぶりは特筆に値します。
ある研究者によれば、魔女裁判の犠牲者は4万5000人に及び、その四割がドイツに集中していたとのこと。
さて、なぜドイツは魔女狩りの巣窟となったのでしょうか。
その理由は多々あります。
宗教対立、気候変動、三十年戦争、小国の乱立など、不安定要素が折り重なった結果、人々の心には恐れが染みついたのです。
なお、カトリックとプロテスタントでは魔女の定義が微妙に異なりました。
カトリックは、災厄をもたらす実害ある魔女の存在を認めたものの、プロテスタントはこれを神の試練と捉え、魔女を神への冒涜者としたのです。
しかし、両者とも「魔女は根絶すべし」という点では一致していたのだから、魔女にとってはどちらも地獄であったことに変わりはありません。