ラジオで流れるかは編集次第ですが、オリジナルの「若者の叛乱」の時代には、大宅壮一が文化大革命の実態を「ジャリ革命」と評したことがありました。キッズ芸能人をジャリタレ、と呼ぶときのジャリで、紅衛兵なんてただのチンピラ、勢いだけの「ガキのイキリ」だというわけです。
その通りだったのですが、少なくとも、彼らにとっては毛沢東という「父」がいた。現状否定の欲求に動かされつつ、形だけでも一応は、「この人が俺たちにとっての ”大人” だ」として掲げるビジョンはあったんですね。
同書をめぐる講義を配信したことがありますが、1971年に精神科医の書いた土居健郎『「甘え」の構造』は、やがてそうしたモデルも消えてガキしか残らなくなる時代の兆しを巧みに捉えて、ロングセラーになりました。
このことはまた最近の青年の反抗によってもある程度裏書きされていると見ることができよう。なぜならそれは、先にのべたごとく、父親が弱いことに対する憤りであり、強い父親を待望する叫びであると解することができるからである。実際、中国の毛沢東が今日全世界の青年にある種の魅力を保持しているのはこの心理の反映であるのかもしれない。 (中 略) この虚像が今日最も熱心に信じられている共産社会においてさえ、いつかはそれが崩れる日が来るにちがいない。しかしそれならばなぜ人類はかくも執拗に偉大な父を求めるのであろうか。
この点についてフロイドの父親殺害説は非常に暗示的である。なぜならそれは父親を探し求める努力が父親殺害の記憶を払拭しようとする意図に発することを暗示しているからである。すべての革命はこの人類的な主題の復習であると考えられる。
『「甘え」の構造』新装版、244-5頁 強調を附し、段落を改変 (後日、版を動画のものと合わせます)
さて、イーロン・マスクが私兵のように子分のITキッズを米国政府のクビ切りに動員してるのは事実らしく、「まるで紅衛兵のようだ」とBloombergが指摘してますけど、日本では意外な人がそれをコピペするんですよね。