ニッポン放送の名物コーナー「私の正論」の収録に行ってきました。前々回の記事で村松剛に触れたタイミングで、彼の旧著と同じタイトルの番組からお声がかかるとは、奇縁を感じます。

1976年刊。 個人的には史論や文芸評論に比べて、 村松の正論(政論)はイマイチですが…

昨年末刊の『正論』2月号に寄せた「斎藤知事再選と「推し選挙」」を基に、お誘いいただいたもので、2/24・3/3・3/10(月)の18:10~20にて、3回に分け放送されます。お楽しみください。

その『正論』寄稿の末尾近くで、私はこんな風に時代を診断しています。

純化した現状否定の欲求に憑かれ、極論に基づくカルトで孤独を埋めようとする人の増えた現状を、私は「マルクス主義なき1968年」だと見る。

右は三島由紀夫と楯の会、左は連合赤軍まで行き着いた70年安保の騒乱を越えて、もういちど日常に回帰する道を示したのは、たとえば初期の村上春樹の小説だ。登場する人物はみな「自分のこだわり」を、容易に社会正義と同一視せず、他人に押しつけない節度を保つ(拙著『危機のいま古典をよむ』而立書房も参照)。

『正論』2025年2月号、139頁 (算用数字に改め、強調を付与)

そうなんですよ。ついこの前まで(『正論』は違ったかもしれないけど)、多くのメディアの売れ線は「Z世代は意識が高いッ。うおおお、脱炭素化! うおおお、BLM! うおおお、トランスジェンダー! うおおお、うおおお、うおおおお!」って感じでしたけど、それ要はいまの世界の前提を全否定してやりたいってだけでしょ?