建物の中に入ってみます。今も郷土館として使っていることから壁は塗りなおされていてそこまで古さは感じません。

こちらは大正14年、皇太子(昭和天皇)が来られた際に会議場として使われた部屋と調度品です。この日のために新調された一部金塗りの高級感溢れる煌びやかな椅子が並びます。

そんな華やかな饗応の場がある一方、日々県政の方向性を議論する会議室も随所に置かれていました。ここは警察部長室。県の警察行政を司る場所であり、重厚感が漂います。

銀行のような施設は会計課。県民からの税の収受などの業務はここで行っていました。日々の経費の支払い業務もここで行っています。マネキンが当時の様子をリアルに伝えています。

部下「課長、うちでも楽々精算入れましょうよ コストは課長のお小遣いくらいだそうですよ!」課長「やっすい!!」

なんていうことが話されていたかどうかはわかりません。

文翔館はかつて県議会の議事堂として使われていた建物ともつながっています。議事堂は今もイベントホールとして使われていてこの日は音楽イベントの準備の真っ最中でのぞくことはできませんでした。

外観はこんな感じ。大正時代、洋風建築がブームとなる最中に建てられた煉瓦造りの議事堂。かなりモダンでカッコいいです。この議事堂が使われたのはわずか15年しかなかったといいますが、今でも議事堂として使えるんじゃないかと思います。

まちなかの洋風建築

ハイカラな洋風建築が残る町、山形。民間で建てられた建物の中にもモダンな洋風建築が点在しています。

山形市の目抜き通りに一際異彩を放つ洋風建築があります。こちらは旧吉池医院。もとは眼科でその後代替わりすると皮膚科となりました。竣工は大正元年で先ほどの文翔館より先輩です。設計者は米沢出身の中條精一郎氏で、文翔館も彼が設計しています。

文翔館を建てるにあたり、試験的にこの医院を立てて様々なデザインを試したといわれています。そのため小規模ながら様々なデザインがこの建物に散りばめられています。残念ながら今は閉院してしまいましたが、閉院したのは令和5年。大正、昭和、平成、令和と4世代にわたって病院として機能し続けた建物です。