なお飯に水をかけるのは夏の間だけであり、冬は水飯の代わりに飯にお湯をかけた「湯漬け(ゆづけ)」が食べられていました。
また同時期に強飯を握った「屯食(とんじき)」も生まれ、それは現在のおにぎりの原型でもあります。
さらに米に野菜などを混ぜた「かて飯」や野菜を入れた粥の「味噌水(みそうず)」などもこの時代からあり、現在の混ぜご飯や雑炊に近いものはかなり古い時代からあったことが伺えます。
このように日本では米の調理に「蒸す」や「煮る」などの方法を取っており、これらを実現するために甑(こしき)といった道具が使われていました。

特に甑は、穴のあいた蒸し器として使われ竈(かまど)の上で蒸し炊きを行うのが一般的であったのです。
この甑が古墳時代頃から普及し、炊飯具の一つとして古代日本の生活に深く根付いていました
万葉集においても甑が歌に詠まれており、「貧窮問答歌」では、甑に蜘蛛の巣が張るほど飯を炊いていない、という一節がありました。
この「炊く(かしく)」は、米を蒸すという意味も含んでおり、当時の食文化が窺えます。
こうして、道具や技術の進化に伴い、米の食べ方も徐々に変わり、私たちが今日口にする「めし」に至るまで、長い歴史の過程を経てきたのです。
調理器具の発展を待たなければならなかった、現代のメシ

このように古代の日本人は様々な方法で米を調理していましたが、現在のような方法での調理はいつ頃から行われていたのでしょうか?
たとえば「姫飯(ひめいい)」といったものは、今のごはんに近いものであり、その調理法には「炊き干し法」や「湯取り法」が用いられていたといいます。
炊き干し法では、米に水を加えて煮、その水がすべて吸収されるまで火にかけるというものです。