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Ed Lallo/iStock
運河ができるまでの経緯
スエズ運河を建設したフランスの実業家フェルディナン・ド・レセップスは、パナマ地峡にも運河を建設しようと着手した。しかし、工事は難航し、マラリアの蔓延や資金難に直面したため、最終的に建設を断念した。それを見た米国は、東西を結ぶこの運河の建設が自国の発展に貢献すると考えた。
当時のパナマは自治権を持っていたものの、コロンビアの領土であった。そこで米国はパナマの独立派と手を結び、1903年にパナマ共和国を建国させた。そして、1905年に米国の資金によってパナマ運河の建設が開始された。工事は難航したが、マラリアは蚊の駆除によって鎮静化し、当時の米国の土木技術によって1914年に運河は完成した。
第2次世界大戦後の運河返還運動
第2次世界大戦後、パナマでは市民による運河の米国からの返還を求める動きが始まった。この運動が高まり、カーター大統領の政権下にあった1977年に、運河の主権をパナマに返還することが決定された。さらに、その時点から運河は米国とパナマの共同管理となり、1999年12月31日をもって、米国はパナマに運河の管理権を完全に移譲することが決まった。
トランプ大統領の主張
トランプ大統領が問題視しているのは、運河の建設に米国が資金を投入し、工事も米国が行った以上、米国は運河の運営を永久に管理する権利を持っており、パナマに譲渡する必要はなかったのではないか、という点である。この見解はレーガン元大統領も政権時に持っていた。
トランプ大統領は、「パナマとの共同管理は認めるとしても、米国が運河から完全撤退する理由はない」とし、カーター政権の判断を誤りであったと批判している。
中国の影響力拡大
さらに問題を深めているのは、中国がパナマ運河の支配を強めようとしていることだ。現在、中国は米国に次いで2番目に多くの輸送量を誇る国となっている。