始皇帝は暗殺や病気を過剰なまでに警戒しており、屋外に出ることを避けるため、宮殿内に歩道を張り巡らせて壁で囲み、外に出なくても移動できるようにしました。
さらに皇帝の居場所を口にしたものは即刻死刑という厳しい厳罰も課していたといいます。
そう、彼の不老不死の探究は単に永遠の権力を求めたものではなく、「死にたくない」という一心から来るものでした。
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そして始皇帝は身近な側近だけでなく、国内のあらゆる学者や占星術師、賢者を中国全土に派遣し、「不老不死の霊薬」を探させました。
2002年に発見された木簡(竹や木に書かれた古文書)から、秦始皇の命令は遠く離れた辺境の村々や地方都市にまで届いていたことが判明しています。
しかし10年に及ぶ探索も結局は失敗に終わりました。
ただ絶対的な権力を持つ始皇帝の頼み。使者たちも「見つかりませんでした」では終われません。
そこで始皇帝に仕えていた錬金術師の一人が「不老不死の鍵は銀色に輝く液体にある」と考え、水銀を使った丸薬を調合するのです。
始皇帝も「永遠の命がついに手に入る」と信じて、その薬を飲み続けました。
果たして、どうなったのか?
水銀入りの丸薬を飲み続けた結果…
不老不死の秘薬に使われたのは「辰砂(しんしゃ)」、通称「賢者の石」と呼ばれる鉱物です。
辰砂の正体は硫化水銀なのですが、錬金術師は「辰砂を飲めば、肉体が腐らず、永遠の命が手に入る」と考えました。
始皇帝もそれを信じて、水銀入りの薬を毎日飲み続けたのです。
現代科学では、水銀は強い神経毒であり、長期間摂取すると中枢神経系にダメージを与え、精神錯乱や体調不良を引き起こすことが知られています。
皮肉にも、始皇帝は「不老不死」を求めるあまり、正反対の死の物質を飲んでしまったのです。
最終的に、始皇帝は紀元前210年に宮殿内で重篤な病に倒れ、帰らぬ人となります。