当時の社会は、実のところ意外にも柔軟であったこと。
そして何より、武士というものが、いつの間にか名誉や責務を超えた「商品」に成り下がっていたこと。
こうして江戸の町では、身分と金が交錯する、不思議な光景が広がっていたのです。
武士身分を得られない武士の子どもが買っていた

それではどのような人が武士身分を買っていたのでしょうか?
御家人株の購入者として多いのが、様々な理由で武士身分を得ることのできなかった武士の子どもです。
様々な事情があって家庭で育てることができず、家老の家で育てられた子どもが、持参金を備えさせて与力の家に養子入りさせた例などがあります。
なおこの子どもは養父の死後に養子先の実子とトラブルを起こして追い出され、その後の彼は放蕩に耽って勘当され、最終的には草履職人になったとのことです。
また父親の後を継ぐことのできない与力の次男が別の与力の株を購入して与力になる例もあります。
一方武士ではない人が武士身分を購入して新しく武士になることもなかったわけではありません。
例えば勝海舟の曽祖父の米山検校(よねやまけんぎょう)は男谷家の御家人の株を購入し、三男にその御家人株を与えたのです。
非公開売買でトラブルも多かった武士身分の売買

それではどのような流れで武士身分の販売が行われていたのでしょうか?
このような売買は表向き禁止されていたということもあり、クローズドな形で行われていました。
例えばある御家人の家来はひょんなことから38両(現在の価値で380万円)もの大金を拾い、落とし主が現れなかったこともあってそのまま38両を手にすることになりました。
この家来は主人からの信頼が厚かったこともあり、主人の計らいによってこの拾得金を元手に念願の同心株を手に入れることに成功したのです。