その後、周辺域から5名の遺体が見つかり、全員の死因が低体温症と断定されています。

残り4名は捜索開始から2ヶ月後、少し離れた森の中で、雪下4メートルの場所に埋まっていました。
4名の遺体は様子が違っており、2名は頭蓋骨骨折、2名は肋骨骨折、目と舌の欠損など、明確な致命傷が見られています。
しかし、外部には争った形跡などがまったくありませんでした。
他にも不可解な点は尽きず、当時のソ連当局は「抗いがたい自然の力によって9名は死亡した」と発表しています。
事件の真相は一体…?
不可解な死、9人が迎えた最期とは?
これまでの調査でも「雪崩説」が最有力でしたが、研究者らはいくつかの反対意見に答えられずにいました。
その一つが「雪崩が起きるには傾斜角30度以上が必要」というものです。
事件現場周辺の平均傾斜角は23度であり、雪崩が起きるには緩やかすぎました。
他に、現場に雪崩の形跡がないこと、遺体のケガが雪崩に見られるものとは違うことなどが挙げられています。
しかし、研究チームが事件現場の傾斜を再測定したところ、平均より5度高い28度あったと判明しました。
それから、雪崩の発生後に降り続いた積雪により、傾斜角がなだらかになり、痕跡も消えたものと思われます。

また、現場周辺の気象条件から、斜面の下層に、粒子の粗い「しもざらめ雪(シュガースノーとも)」が積もっていた可能性が浮上しました。
しもざらめ雪は、摩擦が低いために雪崩を起こしやすく、傾斜角が30度以下でも雪崩を発生させることは可能です。
さらに、現場の様子から、一行は風よけのために斜面を一段掘った場所にテントを設営したと見られています。

それを前提に考えると、斜面上層の比較的小さな雪崩でもテントを押しつぶし、遺体に見られる重傷を負わせるのに十分だということがわかりました。