1959年、ロシア(当時ソ連)のウラル山脈北部の雪山で登山をしていた男女9名が行方不明になり、遺体で発見された事件があります。
遺体には、目や舌が欠損していたり、高い線量の放射性物質が見られたりと不可解な点がいくつも見られました。
明確な死亡原因も特定されず、当時は「イエティ(雪男)やエイリアンのせいではないか」という見方も出たほどです。
その後、事件は未解決のまま、「ディアトロフ峠事件」という名前だけが残されました。
しかし、スイス・チューリッヒ工科大学はこの事件の真相について調査し、その解釈に終止符を打つ研究を報告しています。
一体彼らの身に何が起きたのでしょうか?
この研究は、2021年1月28日付けで『Communications Earth & Environment』にて発表されたものです。
目次
- 事件発生〜遺体が発見されるまで
- 不可解な死、9人が迎えた最期とは?
事件発生〜遺体が発見されるまで
事件の発生場所は、現ロシア中央部・スヴェルドロフスク州内のホラート・シャフイル山です。

一行は、男性7名、女性2名の9名からなり、多くがウラル科学技術学校の学生および卒業生でした。
事件現場は、リーダーであったイーゴリ・ディアトロフの名前から、ディアトロフ峠と呼ばれています。
彼らはスキーでのトレッキングを計画しており、最終目的地は事件現場から10キロ北にあるオトルテン山に設定されていました。
一行が雪山に入ったのは、2月1日。
季節的に踏破困難とされましたが、全員に高いスキー技術と山岳遠征の経験があり、計画に反対するものはいなかったようです。
しかし、彼らが再び帰ってくることはありませんでした。
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2月26日、捜索隊がホラート・シャフイル山の東斜面で、内側から破られ、置き捨てられたテントを発見しました。