■フリークショーの明暗

 1840年代以前、フリークショーは低俗なものと見られていたおり、旅回りの見世物小屋として認知されていた。しかしその後、フリークショーはあらゆる年齢、階級、性別、背景の人々が楽しめる尊敬に値する文化的・芸術的な娯楽として扱われるようになったといわれている。

 ビクトリア女王によって、フリークショーには、ヨーロッパ各地の宮殿の扉も開かれた。1845年、女王のお気に入りの「親指トム」はヨーロッパツアーを敢行し、フランスのルイ・フィリップ王、ベルギーのレオポルド王とルイーズマリー王妃、そしてスペインの女王に謁見した。十数年後、彼は米大統領のリンカーンとも会った。

 しかし全てのフリークスたちが上流階級に入り込み、光輝く人生を送ったわけではない。悲惨な搾取の例は数多くあった。「161歳のジョージ・ワシントンの元乳母」ことジョイス・ヘスや、「アステカ人」ことマキシモとバルトラはその悲しい例だろう。

 純粋芸術に囲まれた恵まれた人生を送っていたはずのビクトリア女王が、それほど強くフリークスたちに惹きつけられた理由は、一体何だったのだろうか。

 しかし、ビクトリア朝の「フリークスカルチャー」は、女王というパトロン無しには、花開かなかったことは確かだろう。

文=三橋ココ

提供元・TOCANA

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