トランプ氏の交渉哲学を考える前に、聖書の世界を少し振り返りたい。人類が神と対等にディールした最初の人物はアブラハムだ。神が不義に満ちたソドムとゴモラを滅ぼそうとした時、アブラハムは神に「その地に50人の義人がいたら、あなたはその町を滅ぼしますか」と尋ねた。神は「50人の義人がいれば、その地を滅ぼさない」と約束する、アブラハムは更に「50人より5人少ない場合はどうですか」と恐れ恐れ聞くと、神は「45人の義人のためにその地を滅ぼさない」と述べた。

神の答えに鼓舞されたアブラハムは「40人だったらどうしますか」と尋ねると、神は「その40人のためにその地を滅ぼさない」と語る、アブラハムは「20人」、そして「10人」とそのハードルを下げた。すると、神はその度にアブラハムの願いを受け入れた。しかし、その地には10人の義人すらいなかったので最終的に「硫黄と火」が天から降って、都市は滅ぼされた。この話は旧約聖書の創世記18章29~33節に記述されている。

アブラハムに次いで神と交渉した人間はモーセだ。イスラエルの民をエジプトからカナンに導くように語った神と山の頂で会い、モーセは神に自身の弱さなどを吐露する。神はそのモーセに支援を約束する。旧約の主人公アブラハムもモーセも創造の主神に対して堂々とディールしている。

新約聖書に入ると、神の子イエスは無条件の愛を唱え、困った人に対して隣人愛を唱えてく。そこにはディールといった話はない。人間と対話し、ディールした「旧約の神」がいいのか、無条件の愛を主張した「イエスの神」がいいのかは、ここでは問わない。ただ、両者には明らかに違いがある。前者にはディールという概念がある。その意味で、トランプ氏のディールは旧約の神の世界での哲学ともいえるだろう。

外電によると、トランプ氏からディールを求められたゼレンスキー大統領が「なんといった非人間的な大統領だ」と激怒したとは報じられていない。むしろ前向きにトランプ氏のディールを考え出しているのだ。欧州諸国に頭を下げて武器の供与を要求し続けてきたゼレンスキー氏はトランプ氏の一見、クールなビジネス的なディールに新鮮な驚きを覚えているのではないか。なぜならば、トランプ氏はゼレンスキー氏を対等の交渉相手と見なしているからだ。