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母が亡くなった。まだ心の整理がつかない。人生において、これほど悲しい出来事は初めてで、後悔の念にさいなまれている。

母は腰の痛みを訴え、東京警察病院(東京都中野区)の整形外科を受診した。精密検査の結果、圧迫骨折と診断され、リハビリをすれば治るでしょうと言われた。しかし、痛みが消えないため、念のため数週間後に再受診した。そこで膵がんステージ4と診断された。

問題はここからである。当日は、私と父も同席していたが、担当医は本人や家族の同意なく、突然次のように切り出した。

担当医:「精密検査をしていませんが、私なら診断を確定できます。間違いなく死にます。1カ月もたないと思います。膵がんステージ4、肝転移の可能性もあります。間違いなく死にます!」

母はショックのあまり、その場に倒れ込んだ。圧迫骨折だと思っていたのに、

「1カ月で間違いなく死ぬ」

と言われたのだから当然である。

この医師は自分の両親にも同じことが言えるのだろうか?

「ステージ4のガンでもう助からない。1カ月もたない、間違いなく死にます!」

と言えるのだろうか。

膵がんは進行が早い。ベストな治療を選択しても死は避けられなかったかも知れない。しかし、大きな精神的ショックを与えなければ、ここまで短時間で死に至ることはなかっただろう。

「心の準備ができて家族に看取られる1カ月」 「心の準備もないまま苦しみぬく1カ月」

その差はあまりに大きい。

生まれたからには、誰もがいつかは必ず死を迎える。医師に求められるのは、患者がその日までどのように生きるか、そしてそれをどのように支援するかを考えることではないのか。死を避けられないなら、残された時間をどう過ごすかを考えて欲しかったが、この医師にはその意識が欠落していた。

生きる気力を失った母は急速に衰弱し、「もう死ぬのだから殺してくれ」「痛いのは嫌だから安楽死をさせてくれ」が口癖になった。母も苦しかっただろう。しかし、残された家族にとっても耐え難い日々であった。