他にも、土地の所有権をめぐる騒動もまた中世の奇怪さを物語ります。

「押蒔き」や「押植え」という名の行為は、争い中の土地に勝手に作物を植えて支配権を主張するというものでした。

これを放置すれば、作物が根を張るように支配も固定化されてしまいます。

そのため、土地の正当な所有者はすぐさま田畑を耕し返す必要がありました。

「耕し返さなければすべてを奪われる」、これが中世の論理なのです。

被害者ファーストだった室町時代の法慣習

室町時代の法慣習は公平性よりも被害者感情を優先していた
室町時代の法慣習は公平性よりも被害者感情を優先していた / credit:いらすとや

室町時代には女敵討ちといって、夫が間男を斬ることがしばしばありました。

それに対して幕府の役人は「愛する者を失う痛みを共有すれば、衡平が保たれる」と考え、「間男だけでなく、姦通した妻も殺害せよ」という結論に至ったのです。

この規範は江戸幕府にも受け継がれ、明治時代まで続く長命ぶりを見せました。

一方、加害者集団が被害者集団に謝罪の意を示すべく「身代わり」を差し出す解死人制という制度もありました。

この制度では身代わりに対して表向きは何をしてもいいとされていたものの、実際に処刑されることは稀で、顔を「見る」ことで復讐心が儀礼的に昇華される仕組みだったのです。

ここでも重要なのは、被害者側の衡平感覚をいかに満たすか、でありました。まさに中世的な知恵の妙技と言えるでしょう。

 

このように、室町社会は滑稽さと壮絶さが入り交じった混沌そのものだったのです。

これこそが中世という時代が我々に語りかける奇妙な物語であると言えます。

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参考文献

早稲田大学リポジトリ
https://waseda.repo.nii.ac.jp/records/6266

ライター

華盛頓: 華盛頓(はなもりとみ)です。大学では経済史や経済地理学、政治経済学などについて学んできました。本サイトでは歴史系を中心に執筆していきます。趣味は旅行全般で、神社仏閣から景勝地、博物館などを中心に観光するのが好きです。