室町時代は近年映画や小説で取り上げられているように、アナーキーな要素の強い時代として知られています。
そのようなこともあって当時の人々は、現代の私たちからすれば到底信じられないような行動をしばしば取っているのです。
果たして室町時代の人々はどのような行為規範を持っていたのでしょうか?
この記事では室町時代の人々の行為規範と、それに付随する様々な慣習と事例を紹介していきます。
なおこの研究は、清水克行(2004)『室町時代の都市生活と法慣習』早稲田大学大学院文学研究科博士論文に詳細が書かれています。
目次
- 他の幕府と比べて圧倒的に弱かった室町幕府
- 呪術的な裁判、没落した者には人権なし
- 被害者ファーストだった室町時代の法慣習
他の幕府と比べて圧倒的に弱かった室町幕府

日本史の区分上は鎌倉幕府と江戸幕府の間に室町幕府があるということもあり、室町時代のことを鎌倉時代や江戸時代のようにキッチリとした統治が行われていた時代と考える人もいるかもしれません。
しかし室町幕府は、他2つの幕府のようにキッチリとした統治を行っていた期間は非常に短く、そのほとんどが某漫画の世紀末世界のようでした。
室町幕府が成立した年は足利尊氏(あしかがたかうじ)が建武式目を制定した1336年、もしくは尊氏が征夷大将軍に任命された1338年と言われています。
しかし当時は様々な事情により朝廷が二つの系統に分かれており、その系統から交互に天皇が即位する慣習が取られていたのです。
やがてこの慣習は足利尊氏と後醍醐天皇の対立によって最悪の形で破局を迎え、足利尊氏らが支持する北朝と後醍醐天皇らが率いる南朝の2つの朝廷が並立する時代になったのです。
このような時代において南朝に従う武士たちが足利家の言うことなど聞くはずもなく、3代将軍の義満によって南北朝が統一される1392年まで室町幕府は全国の武士を従えることができませんでした。