さて、そこで昨年。一昨年の醜聞を繰り返してはならぬと、人の多く集まる繁華街や、治安の悪い地区では、花火が全面的に禁止され、さらにベルリン市が動員した機動隊の数が5000人。1月4日の時点で、能登半島地震の救助で出動している自衛隊員が4500人というから、どれだけの規模であるかは想像できる。しかも、 “戦場”となるのは全ベルリン市ではなく、ほんの一部の地域なのだ(ちなみに、やはり不穏地域の複数あるノルトライン=ヴェストファーレン州では、6600人の警官が警備についた)。

さて、翌日の元旦、ベルリン市長の状況報告は「満足」。市警の広報官も、「十分な予防措置と早急な対応により、エスカレートを避けられた」とやはり自分たちに合格点をつけた。また、市の消防は、「前回とは違い、的確な計画と事前の訓練のおかげで、どうにか切り抜けることができ、全員が署に戻れた」と安堵のコメント。そして、多くの主要メディアも、「おおむね平穏」とか、「前年のようなエスカレートはなかった」と、あたかも治安が十分に保たれたかのような書き振りで、国民を安心させた。

では、実際の“収支決算”はどうだったのか? ベルリン警察の発表をよく見ると、大晦日の逮捕者は390名、負傷した警官が54名だ。逮捕者が前年より増えた理由は、職務質問や逮捕についてのハードルが下げられたため、警官が不審者を積極的に捕まえられたから。例えば、禁止されている場所でロケット花火を打ち上げた者、あるいは、ナイフや火薬(花火?)の所持者などをどんどん逮捕した。なお、負傷した警官のうち30名はロケット花火での攻撃によるものだった。つまり、5000人を動員しても、ロケット花火による警官への攻撃は完全には防げなかったわけだ。

なお、暴動とは関係のない一般の花火事故についても触れたい。救急外科が専門のベルリンのある病院では、同夜は人員を強化し、特に手の怪我に特化した外科医が待機していたという。この病院に搬送された重傷者が27人。指を吹き飛ばされた人、顔や目の負傷、火傷が主で、97%が男性だったという。アルコールの影響も大きそうだ。

あらためて思う日本とドイツの相違

いつも思う。日本だったらこの10分の1ほどの騒乱でも、何日間もニュースになるだろうと。以前、日本から遊びに来ていた友人たちとミュンヘンを訪れた時、市役所広場で大きなデモに遭遇した。数千人が集まり、幟を掲げて、ごく平和的に何かの要求をしていただけだったが、もちろんそういう時には、多くの警官も警備に就く。ただ、こんなことはドイツではしょっちゅうあるので、私にとっては見慣れた風景だったが、友人たちが驚いたように見入っていたのが印象的だった。

思えば、日本では大型デモもあまりなく、たとえあっても、それが暴動に発展することなどほぼ皆無だ。日本の町が不穏な状況になったのは、50年も前の学生運動の頃まで遡らなければ思い当たらない。日本の治安が良好だったことで、これまでどれだけ膨大な機動隊の経費を節約できたことか。

いずれにせよ、ドイツの住宅街の長閑でお行儀の良い花火風景と、暴徒と警官の戦う様はあまりにも対照的。毎年のことながら、不思議なドイツの新年である。

提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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