
ZU_09/iStock
ドイツでは、色とりどりの花火で明るく染まる夜空が新年の風物詩だ。日本のような除夜の鐘の静寂さとは無縁。あっちでドカン、こっちでシュルシュルの “往く年、来る年”だ。
零時の時報と共にロケット花火を打ち上げるのは男性の仕事。その他大勢は、ほろ酔い気分でシャンペングラスを片手にゾロゾロと道端に出てきて、近所の人たちと手当たり次第ハグしては、「ハッピー・ニューイヤー!」 アルコールで熱った頬に冷気が心地よく、今、思い出しながら書いているだけで、その感触が蘇るほどだ。
ただ、その頃には次第に付近が火薬臭くなり、空が煙でぼんやり霞む。大都市の場合、一時的に塵埃の値が普段の100倍になるといい、当然、環境保護団体からは花火を禁止しろという声も挙がるが、日頃は環境保護に熱心なドイツ人も、これにだけは同調しない。
ただ、ロケット花火はかなりの威力を持っており、規格品以外のものを買わないようにと当局がアピールしているが、毎年、暴発による事故や火災は絶えない。12時10分ぐらいになると必ず救急車や消防車のサイレンが聞こえ始める。日本人の感覚から言うと、「こんな危険なものが許可されているなんて信じられない!」と呆れるレベルだ。
ただ、誰が見ても確かに危険なので、線香花火など無害な花火以外は、一年のうち12月29日から31日までのたった3日間しか販売されない(昨年は31日が日曜日でお店がお休みだったので1日前倒し)。そして、その3日間の売り上げが80〜100万ユーロとか。
つまり、いつもは倹約家のドイツ人が、この時だけは一気に数百ユーロも出して花火を買ってくるわけで、40年以上暮らしていても、彼らの心理は時に私の理解の範疇をこえる。いずれにせよ、彼らが大晦日の花火に類いまれな情熱を傾けていることだけは間違いない。
たいていの住宅地では、こうして深夜の花火を楽しんだ人たちは、1時間ぐらいすると綺麗に後片付けをして三々五々消えていく。そして、元旦は皆、昼まで寝ていて、2日からは社会は平常通り。これが、庶民の間に古き良き時代より続いている微笑ましい風習である。ドイツのお正月には、1年の最初の日という以外に何の意味もない。
問題視される特定地域の治安ただ、全てのところでこういうふうに平和に年が明けるわけではない。まさにこの大晦日に、風物詩である花火のせいで、あちこちで問題が起こる。
ドイツには、少なくとも年に2回、ある一定の地域で治安が極度に乱れる日がある。それが大晦日と5月1日のメーデーで、その代表的な危険地区の一つが、たとえば旧西ベルリン市のノイケルン。住人の半分以上がアラブ系で、ドイツの移民政策の失敗を見たければ、ここに行けば良いと言われている場所だ。元々、治安が悪いが、大晦日とメーデーには飛び抜けて悪くなる。
一昨年、つまり22年から23年にかけての大晦日は、このノイケルンでタガが外れ、内乱のような騒ぎとなった。火をかけられた車やバスがあちこちでメラメラと燃え、ロケット花火が武器と化し、消防士や救急隊員が攻撃されて逃げ惑った。これまでになく常軌を逸したレベルと言われた。
ベルリン市は当時、社民党、緑の党、左派党の3党が治める真っ赤な都市だった。この3党は日頃から難民・移民擁護に徹していたため、フランスだったら放水車や装甲車が出ただろうと思われるほど険悪な事態に至ったこの時でさえ、警官は手足を縛られた状態だったのだ。結局、この夜の逮捕者は145人(18の国籍)。負傷した警官の数は41人に上った。
しかし、さすがにベルリン市政府のこの軟弱対応は、市民の安全を守るという重要な義務を怠ったとして大きな批判を招いた。それもあって、2月の市政選挙後、政権はCDU(キリスト教民主同盟)の手に移った。