冷戦時代、旧ソ連・東欧共産圏では多くの政治囚人が刑務所に拘束されていた。欧米メディアは政治囚人を「良心の囚人」と呼んでいた。自身の政治信念、信仰ゆえに共産政権から拘束され、刑務所や牢獄に監禁されてきた人々だ。反体制派の政治指導者、キリスト教会の指導者など、その出自は多様だったが、共通していた点は自身の良心の声に従って語り、行動した人々だ。

ウィーンの国連で開催されたホロコースト追悼集会で祈るユダヤ教のラビ、2015年1月27日、ウィーン国連で撮影

「良心の囚人」という表現は、実際に犯罪を犯したわけではなく、主に冷戦時代に、政治的、宗教的、または哲学的な信念を理由に不当に拘束された人々を指す言葉として使われた。アムネスティ・インターナショナル(国際アムネスティ)が広めた概念でもあり、「良心の囚人」と認定された人々の釈放を求める活動を行ってきた。

ソビエト連邦下の活動家、1980年代初頭のポーランドの「連帯」運動、中国の民主活動家は良心の囚人のカテゴリーに該当した。1989年の天安門事件後、民主的改革を求める活動を行っていた多くの学生や市民が中国政府によって逮捕され、その多くは「良心の囚人」だった。

最近では、昨年2月16日、刑務所で獄死したロシアの反体制派活動家アレクセイ・ナワリヌイ氏だ。毒殺未遂を経験し、病が癒えるとすぐにロシアに戻っていった人間だ。戻れば死が待っていることを知りながら、祖国ロシアに帰国した。ナワリヌイ氏は誰かからそれをいわれたからそうしたのではなく、自身の心の内からの声、良心の囁きに耳を傾けて生きていった人間だ。それを良心の囚人と呼んできた。

イギリスの小説家ジョージ・オーウェルの小説「1984年」を思い出した。ビック・ブラザーと呼ばれる人物から監視され、目の動き一つでも不信な動きがあったら即尋問される。何を考えているのか、何を感じたかなどを詰問される世界だ。そこでの合言葉は「ビック・ブラザー・イズ・ウオッチング・ユー」だ。2+2=5を信じなければならない世界だ。過去の多くの良心の囚人はその世界を体験した。