黒坂岳央です。
手前味噌のようでおこがましい限りだが、筆者は以前に比べて人に対して物腰柔らかく、丸くなれた、つまり優しくなれたと思っている。これは「優しい人になろう」と意識してそうなったというよりは、気持ちの持ち方を変えた事で自然にそうなったという方が正しい。
昔は強固な「あるべき論」を相手に押し付けてぶつかることも多かったが、今では平和的にコミュニケーションを取れるようになり、トラブルの匂いがし始めたらさっさと相手に勝ちを譲って、素早く身を引くことができるようになったと思っている。
今回はその気持ちの持ち方を2つシェアしたい。
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kieferpix/iStock
「相手に優しく接するのは、自己犠牲の上に成り立っている」という考えをよく見る。
確かにそうした場面もゼロではないが、筆者の場合は「相手に優しく丁寧に接することは、トータルで見て自分が得をする」ということを肌感覚で実感が伴った時から自然にできるようになったと感じる。
たとえば相手が困っている時にさっと手を貸すと喜ばれることが多い。先日、セブンで外国人女性二人がスムージーのバーコードをマシンに読み取らせるのに手間取っている様子だったのを見て、声をかけて代わりにやった。すると相手から「Thank you!」と笑顔でお礼を言ってもらえたのでその日一日、すごくいい気分になれたのだ。
また、取引先と仕事を進める上でも「これは相手に役に立つ情報だから先回りして出しておこう」と考えて提供すると「細やかなお気遣いありがとうございます!」と喜んでもらえた。
「そこまで自分が相手を助ける義務はない」と考えるのも人それぞれの判断かもしれない。だが、シンプルに相手から喜ばれ、感謝されることは本来は誰にとっても嫌な気持ちにはならないはずだ。
多くの場合、「自分が辛い時に人に親切にすることは難しい」と言われがちだ。確かにそうかもしれない。だが筆者はむしろ、自分が辛い状況の時ほどより親切にしたくなることも少なくない。