批判する側、される側
世の中には批判する側とされる側にわかれる。一見すると批判される側がダメで、する側がえらいという構図が見えそうだがそうではなく、実際は真逆なのだ。
社会的地位が上になるほど、批判される側になり相手から言われる一方という立場になる。たとえば企業経営者や政治家、芸能人などだ。彼らの一挙手一投足に苦情が飛んでくる。何をしても誰かからは必ず文句や反論が飛んでくる。
おそらく世界で最も批判されるのは、世界で最も権力を持つ米国大統領という立場ではないだろうか。その一方で彼らを批判する立場はそうでないことが多いだろう。
逆に出した意見に対して誰からも反応がなく、反対意見もまったく出ない方が発信者としてよくない状況と言っていい。意見に対して賛成があるということは、必ず反対も出る。しかし、まったく反対が出ないということは、賛同する人もいないということだ。
そして批判がくるということは、相手がエネルギーや時間という貴重なリソースを使ってわざわざ反論したいと思っているということであり、相手の感情を動かすことに成功している。そしてそうしたお怒りのメッセージが来る記事や動画には、必ずといっていいほど強烈な支持者も現れる。
だから批判が起きている状況は悲しむのではなく、喜ばしいことも少なくないのだ。
反応しない器立場が上になるほど批判を受けることが増える。だが、肝心なのは相手の絡みにいちいち対応しない。相手の批判に対して頭に来て「反論」という形で反応した自体で「負け」なのである。
批判してきた相手に対して、きっちりロジックを積み上げて完璧な答えを準備して、相手を論破しても何も得るものはない。時間とエネルギーを失うだけだ。
失うのはそれだけではない。自分を応援してくれる大切な人ほど「そんなどうでもいい反論に、血の気荒く必死に反撃するなんてこの人はとても器の小さい人物だ」と離れてしまうことの方が多いだろう。