黒坂岳央です。
日々、記事や動画を出していると「お前はおかしい!」と20年ほど年上の相手からマウントやお説教を受けることが日常茶飯事だ。律儀に長文で直筆の手紙で受け取ったことも何度かあった。
仮に彼らの意見が筋が通っており、生産的、建設的なら「これは新たな成長のチャンス」と喜んで受け入れるべきだろう。また、明確にこちらの意見に誤りがあったり、新しい視点で軌道修正をしてくれるような意見なら相手に感謝を示して真摯に対応したいと思っている。自分にとってはプライドを守ることより、自己成長を優先したいからだ。だが残念なことにそうした事例は皆無である。
ほとんどのパターンは次のようなものだ。こちらの主張へのカウンターに「オレはこんなにすごい人物だ」と承認欲求に突き動かされて、お金や仕事など元々自慢したかった実績を織り交ぜてPRする。
またはひどく認知が歪んでいて、こちらは相手をろくに認識していないのに「お前は自分に向かって文句をつけたぞ!」と怒り出すケースだ。
人間は年を取ると、新たな挑戦をしなくなり、自分の人生の発展性を自ら閉ざす。これまでの人生経験を過大評価し、プライドが高く、他者が愚かに見えてしまうことで空いた時間を他者への批判や愚痴不満に使うことが多くなりがちだ。
他人の意見発信を見て「自分に攻撃した!」と被害妄想にとらわれ、攻撃性の高さを見えることは周囲の人からの印象が悪くなるというメタ認知ができず、攻撃の衝動を抑える前頭葉の抑制機能が衰えている。
これは老化現象なので、そうしたお年寄りに絡まれることは「残念だが仕方がない」として割り切ってスルーしている。
こういう実例を話すと「やっぱり意見発信をするのは怖い…」と物怖じしたり、批判を受けて落ち込んでいる人もいるだろう。だが、勇気を出してほしい。実は相手から批判される立場は大変に喜ばしいことなのだ。その論理的理由を取り上げたい。
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