【4】リチャード・バード少将の地底世界探検記は外せない!!
戦中戦後、航空機が発達し始めた頃、単独で北極点上空を通過、南極点通過を成し遂げた軍人がいる。リチャード・バードだ。生前に地底世界の書籍が発表される事はなかったものの、遺書として残された当時の日記がその後の出版に繋がっている。
その軍人リチャード・バードは、1928年に南極の棚氷を発見し、1950年代までアメリカの南極基地から南極探検を指揮している。その中でも1929年5月にノルウェー領スヴァールバル諸島のスピッツベルゲン島のキングスベイ港から北極点を公称15時間で往復しているのだが、実は無線が切れたのち数時間、北極の向こう側の大地に降り立つよう、2機の見慣れない飛行物体に曳航されて地底の世界に行ったという。そこで、地上世界の人々に地底には文明があり、1万年も先行していることを伝えて欲しいと要請されたようだ。
残念ながらこの件は基地に戻った後、米国の司令部から口外しないように圧力をかけられていた節があるという。1957年、彼の死後6年ほど経った1963年7月にアメリカでレイモンド・バーナード博士が著した『The Hollow Earth – The Greatest Geographic Discovery in History』(日本語訳:『地球空洞説』大陸書房刊)の中に再び登場し、北極の向こう側の世界についてかなり詳しく解説されている。そこには空飛ぶ円盤の話や言語が通じた事、太陽に似た照明、地上の近代文明をはるかに凌ぐ超高度な文明が存在し、その住人が人類の核開発に対して警鐘を鳴らしていたようなのだ。
実は生前、バード少将は1947年、米海軍第68機動部隊の指揮官として南極探検と兵器試験を行うハイ・ジャンプ作戦の中で、何度かの飛行機による南極点探査を行なっていて、その時はカメラを持っていき、南極上空に異世界へと通ずる穴が開くことがあり、時空の歪みがある座標が発見されていたのだという。たまたまバード少将は飛行機に乗ったまま、その空間へ入ってしまったのだ。そこには水平線というものはなく、氷河しかないはずの大地には川が流れ、平野や山や湖に加え、道路らしき物も見られたという。
数時間後、その空間から脱出した後、再び氷河に覆われた南極大陸に戻ってきているのだが、その後の彼の極地方横断や探査には強い影響を及ぼしたに違いない。北極点航行への挑戦の意気込みを記者たちに聞かれた際のインタビューでは「北極の向こう側の世界をこの眼で見たいとおもう。その北極点の向こうの地域に、大きな謎の中心がある」と答えているが、通常「横断」と言うべき部分で「向こう側」と言う意味深な言葉を残しているのが、創作ではなく、彼の残した言葉であるならば、地底空洞世界に重みが増してくる。レイモンド氏はその著作の一部をアメージング・ストーリーズの編集者が出版していた「Flying Saucer」誌に寄稿した際も、雑誌が刷り上がった直後に出版停止になっているというので、MIBの暗躍を疑ってしまう。