興味深いことは、死海文書のDNA分析の結果、「当時この地域には家畜として山羊しかいなかったにもかかわらず、多くのテキストが羊の皮に書かれていることだ。このことから、全ての死海文書がクムラン教団で作成されたのではなく、エルサレムの学者によって作成されたものもあるはずだ」と結論付けられていることだ。
コンピューターの分析とアルゴリズムの助けを借りて得られる洞察も刺激的だ。イザヤ書の巻物から、何人かの作家が働いていたことは明らかだ。後加工や修正の跡が多数ある。書き手は内容にも介入し、コンテンツに追加したり、文章全体を省略したりしていることも分かっている。死海文書はほとんどがヘブライ語で書かれてあったが、一部、アラム語文やギリシャ語文もあったという。
「死海文書」が見つかった洞窟は当時、ヨルダンの領土に入っていたことから、ヨルダン政府は死海文書はヨルダンのものだと主張して、イスラエル側と対立。「死海文書」の発見場所は当時、イギリスの統治領土だった。また、「死海文書」関連の出版が遅れたのは、カトリック教会の教えと合致しない箇所があったからだ、といった「カトリック教会陰謀説」が流れたことがある。「死海文書」と呼ばれる断片には多くの偽物も含まれていた。これまで「死海文書」を巡り、多くの紛争や不祥事が起きている。
世界の考古学者はこれまで発掘された多くの古文書を分析し、歴史的事実を実証してきた。例えば、イスラエルの統一王国時代のダビデの存在が実証された。ただ、旧約聖書が記述するような巨大な王国ではなく、地方の小さな部族だったことが明らかになった。エジプトから60万人のイスラエル人を率いて神の約束の地、カナンを目指した指導者モーセの実存は考古学的には今なお実証されていない。
イエスの遺体を包んだ「聖骸布」が一般公開されて大きな話題を呼んだことがある。ただし、1988年に実施された放射性炭素年代測定では、「トリノの聖骸布」の製造時期は1260年から1390年の間という結果が出た。すなわち、イエスの遺体を包んだ布ではなく、中世時代の布というわけだ。モーセだけではない、イエスの墓も見つかっていない。
このコラム欄で「考古学者は『神』を発見できるか」(2019年11月20参考)というタイトルのコラムを書いたことがある。「死海文書」は考古学者にとって宝物が詰まった古文書だろう。その文書が発見されて今年で75年目を迎えたが、考古学者は「死海文書」の中でイエスの足跡を見出すことができなかったのだろうか。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2022年11月30日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。
提供元・アゴラ 言論プラットフォーム
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