【時代の証言_日本車黄金時代】先進技術ともてなしの心で新たな高級車を創造。1989年レクサスLS(セルシオ/UCF10&11型)が築いたステイタス
(画像=レクサスLS400(日本名トヨタ・セルシオ)は、世界に向けたトヨタの挑戦。良質な大衆車作りで磨いた技術を武器に、欧米のプレミアムブランドが独占していた高級車のジャンルにチャレンジした処女作だった。欧米のライバルに対するアドバンテージは、圧倒的な静粛性。全速度域で実現した静けさは、「源流主義」と呼ばれる徹底的な作り込みで実現していた、『CAR and DRIVER』より 引用)

アウトバーンでは270km/hをマーク。完成度は驚くほど高い

 レクサスLSを西独で試乗した。フランクフルト近郊の高級ホテルをベースに、2日間走り回った。
 欧米の贅沢なホテルや、高級ホテルの光景に、高級なクルマはつき物だ。美しい建築のホテル、その正面玄関の前には必ず見事な高級車がズラリと並んでいる、車寄せの前に駐車スペースをとるのは、ホテルにとってハイレベルな客層を誇示する有効な手段だからである。

 ホテルにとっての上客といえば、社会的な地位が高い、富裕な人たちである。彼らが乗り付けるのは、贅沢なクルマであるのは常識だといっていい。そうした客の多くは、ホテルが彼らのクルマをどこに置くかを気にする。クルマをパークさせる場所も、ホテル側の自分への対応の現れだからだ。

【時代の証言_日本車黄金時代】先進技術ともてなしの心で新たな高級車を創造。1989年レクサスLS(セルシオ/UCF10&11型)が築いたステイタス
(画像=『CAR and DRIVER』より 引用)

 ホテル前面の限りあるパーキングスペースは、ホテル側にとっても客にとっても、プライドにかかわる大いに意味のある場所である。一流のホテルになるほどそうだ。伝統と各式をうたうホテルほど、そんなプライドは強くなる。

 したがって、ヨーロッパの一流ホテルの入り口には、高級なクルマがズラリと顔を並べている。ロールス・ロイス、ベントレー、メルセデス、ジャガー、フェラーリ、ポルシェ、BMW……有名ブランドが静かに競演している。

 そんな華やかな場で、日本の新しい高級車レクサスがどう見えるか……ボクは興味津々だった。レクサスはメルセデスに似ている、という印象を抱いた人は多いはずだ。ある角度から眺めると確かにそう見える。ボクも、初めて見たときにはそう感じた。だが、回を重ねて何度も見ているうちに、その印象は徐々に薄れた。西独での出会いで、そんな感じはほとんど消えてしまった。

【時代の証言_日本車黄金時代】先進技術ともてなしの心で新たな高級車を創造。1989年レクサスLS(セルシオ/UCF10&11型)が築いたステイタス
(画像=『CAR and DRIVER』より 引用)

 西独の光の中のレクサスは、明らかにアイデンティティを持っていた。とてもバランスがよく、美しく仕上がっている。近寄って、隅々まで見ると、いかにも日本のクルマらしい。本当に細部まで丁寧に仕上げている。トヨタのデザインの実力、そして生産技術に文句なく拍手を送らなければいけない。

 そばで見たレクサスは、艶やかな面の張りも美しく、存在感は十分に高い。しかし、少し離れて眺めると、Sクラス・メルセデスやジャガーに対するような感じではない。レクサスは、いまひとつ存在感が薄い印象に変わる。

 なぜだろうか……。ボクは距離の置き方をいろいろ変え、いろんな角度から眺めてみた。出た結論は、「たたずまいの個性の弱さ」だった。Sクラス・メルセデスもジャガーも、遠くにチラッと一瞬目にとめただけでも、存在がわかる、たたずまいの内に、Sクラスは大いなる威厳を、ジャガーは非常な優雅さを秘めている。ところがレクサスは、美しく、調和がとれているのだが、それ以上の「プラスα」がない。何かが欠けている。

 そのひとつは「強さ」だといえるかもしれない。レクサスを目にすると、あくまでも滑らかなラインが印象づけられるだけで、強さが感じられないのである。Cd値を追いすぎた結果かもしれないが、もうひとつ強さがほしかった。

【時代の証言_日本車黄金時代】先進技術ともてなしの心で新たな高級車を創造。1989年レクサスLS(セルシオ/UCF10&11型)が築いたステイタス
(画像=『CAR and DRIVER』より 引用)

 高級車のデモンストレーションのような、ヨーロッパの高級ホテルの前で先輩高級車に混じって存在を主張するためには、無難な、破綻のない美だけでは不足なのだ。少々アクが強いといわれようと他車との違いを明白に打ち出す個性の強さが必要である。そうでないと「上等な無印良品」になりかねない。それをボクは心配している。高級車はブランド品である。

 インテリアにも同じことがいえる。個々に見つめるとレクサスのインテリアは実によくできている。マテリアルの質感も、仕上げも文句なしだ。コントロール系の扱いやすさにも、注文をつけるところはほとんどない。

 だがインテリアもエクステリア同様に、どうも印象が弱い。だから、乗っている間は何の不満もないが、印象に残らない。降りて、部屋に戻る。さて、レクサスのインテリアはどうだったかな……と思い返そうとして、これがハッキリとは思い出せないのである。

【時代の証言_日本車黄金時代】先進技術ともてなしの心で新たな高級車を創造。1989年レクサスLS(セルシオ/UCF10&11型)が築いたステイタス
(画像=『CAR and DRIVER』より 引用)

 メルセデス、ジャガー、BMW、ロールス・ロイス……伝統を誇る高級車はどれも独特のテイストを持っている。個性の香りを間違いなく思い出すことができる。イメージをフラッシュバックさせることもできる。個性の味わい、その香りについて多くを語り合えるのだ、それは、文化といってもいい。

 だが、レクサスの場合は、「うーん、よかったんじゃない……」といった曖昧な答えしか出せない。いろいろと語るだけのイメージが脳裏に残らないのである。すべてに細心の注意を払ってバランスをとったレクサスだ。レイアウトも細やかに気配りし、タッチを磨き上げて……そうした積み重ねが、こういう結果を生んだのかもしれない。

 つまり、レクサスは乗り込んだとたんに、ドライバーの手や、体になじんでしまう。違和感はもちろんなく、とりたてて意識にのぼるところもない。一般的にいえば、それは美点になり得る。が、それだけに、心に残ることもないのではないか……という考え方もできる。

 これは一面では的を射ていると思う。しかし、決してそれだけではないだろう。いや、たとえ初対面のドライバーにも抵抗感がないのが日本車の特色であっても、その中に「独特の香り」や「忘れがたいイメージ」が溶け込んでいるべきだ。それが乗り手の感性に自然に語りかけ、記憶に浸透しない限り、真の高級車の仲間入りはできない。高級車の価値は、単に大きくて、質が高く、贅沢な装備にあふれているだけでは満たされないのだ。

 とはいえ、伝統ある世界の高級車と同等の存在感をいますぐ実現したい、といっても難しいことである。レクサスは、初の高級車としては文句なしによくできている。バリュー・フォア・マネーで圧倒的な高得点を挙げている。世界中の多くのユーザーから絶大な支持を受けるだろう。
 でも、文字どおりの高級車に将来成長するためには、エクステリアにしてもインテリアにしても、無言のうちに人々の心の奥深くに沁み入り揺り動かす、強い香りが絶対に必要だとボクは思う。