石破茂です。

「派閥」は「政策集団」として位置付けられ、政策の研究、人材の育成、資金集めと配分、選挙の支援、政府や党のポストの配分などの役割を担ってきましたが、今回の政治刷新本部の議論において、今後「派閥」は「カネと人事」には関与せず、純粋な「政策集団」としてのみその存在が認められる方向となりました。

自民党本部 自民党HPより

「派閥」の本質がカネと人事を手段とする「権力獲得集団」であったことは事実です。派閥の決定に忠実に従った者には論功行賞としてポストが配分され、政府や党で己の積んできた研鑽を生かして働くことが出来、有権者の期待にも応えることが出来るという、それなりに合理的なシステムではあったのだと思います。

ただ、派閥の会長を党の総裁選挙において総理総裁とすべく争う、というところからずれていって、派閥にとって「有益な」候補者を派閥全体で当選させる、ということになってくると、時として党員や国民の意思と乖離した総理・総裁が選出されて政権を担うことになり、国民には「どうせ国会議員がその利害によって選んだ総理・総裁なのだから」という冷めた意識が生じ、結果として諦めと無力感に満ちた空気が醸成されてしまったことは否めません。それは国民の責任では全くなく、偏に我々自民党の責任です。

昨日の総務会において刷新本部の中間とりまとめが審議された際、概略以上のようなことを申し述べました。

平成元年6月、竹下登総理・総裁の退陣に伴い、中曽根派の宇野宗佑外相が後継総裁となりました。当時当選一回生であった私たちは、宇野外相の政策も人柄も全く知らないままに、総裁選出のために開かれた両院議員総会で賛成の起立をすることになりました(自民党の党則には、緊急の場合は正規の総裁選を行わず、総裁を両院議員総会で選出できるとの規定があります)。

その際、中曽根派幹部の先輩議員に「何故宇野先生なのですか?」と尋ねたところ「自分も宇野さんはよく知らないが、おそらく外交の継続性ということなのだろう」との答えが返ってきて、随分といい加減なものだと思ったものです。

宇野政権は参院選の惨敗により69日の短命に終わり、またしても両院議員総会で後継に海部俊樹元文相が選出されました。正規の総裁選挙によらない選出に納得できない我々当時の若手議員は、総裁選の実施を求めて随分と行動したのですが、派閥幹部からの「これ以上やるのなら派閥を出ていけ!」という圧力は想像を遥かに超えるものでした。

海部内閣も派閥の論理によって倒れ、その後の宮沢喜一内閣は内閣不信任案が可決されて、自民党の分裂と細川護熙内閣の成立による下野に至ります。

今までも、自民党本部があまりに国民の意識と乖離した時、政治は混乱に陥り、結果として国民生活に大きな打撃を与えてきました。ともすれば国民の思いや個々の議員の判断よりも、派閥の利害や数の論理が優先して総理・総裁が決まっていく、という自民党の在り方は、今回の派閥解散を契機として改められるべきものと思っております。

政策集団の役割が政策研究に特化し、人事と資金に関与しないこととなれば、従来派閥が担ってきた資金集めと配分、人事調整、各種選挙の応援は党が担うこととなりますが、そのためには党本部の組織を抜本的に強化せねばなりません。日常の政治活動や選挙にかかる費用を徹底的に見直した上で、資金集めを党に一本化するとともに、配分基準を明確にすることも必要となりましょう。

人事においても、だれがどの分野に通暁しているかを評価する基準が必要となります。自民党政務調査会の各部会や国会の委員会でどのような活動や質問をしてきたか、議員連盟での活動、政府での役職などを正確に把握し、評価できるシステムが必要となります。

各種の選挙応援も、国会議員のみならず都道府県・市区町村の首長・議員に至るまで、党として最も相応しい応援の体制を構築せねばなりません。決して容易なことではありませんが、この膨大な作業を経て初めて自民党は「近代的な国民政党」になるように思います。