ただ、教育には二面性があるのも事実です。小学校から大学まで共通するのは知識の詰め込みという実務的教育と組織の中に於いて自分を育てたり情操教育を受けるといった社会順応性と適応性を磨く部分です。上述のアンケートで大学生が「人生経験として重要だと思ったから」というのはまさにこのことでしょう。

また高校大学あたりの体育会系の厳しいクラブ活動により精神力が磨かれるというのもあります。昔は体育会系は就職に有利と言われたことがありました。学業は劣っても規律や努力、試練に対する耐性などを評価したわけです。ところがそういう方が企業である程度の役職になると命令調になりブラック企業とかパワハラ問題が生じやすくなることもあるでしょう。

採用面接で晴れて採用となってもしばらくしてから「あれ?」ということはしばしばあります。レジメにエクセル得意だと書いてあったよね?だけどエクセルの表には生データだけで計算式がどこにも入っていないじゃない?とか。料理できるといったよね?だけど炊飯するのに米に洗剤入れて洗うのはお願いだからやめてくれない?とか。君はもう無理。残念ながらもう来なくていいと言ったら両親が日本から駆けつけてきて「お願いですから再考を」と。親ばかにもほどがあるといった具合です。

「義務感教育」でなければ「体裁教育」とでも表現できるかもしれません。レジメには最終卒業学校は書きますが、その時の学業成績は一般には書きません。ですので面接する方は努力した人なのか、要領よく生きてきた人なのか破断できません。

面接で私が重きを置くのはその人がどんな生き方をしてきたかを自分の口で喋ってもらうことです。惰性の人生なのか、自分で開拓してきた人生なのか、面接官から見ればそんなのは3分で見抜きます。「体裁教育」とやらされ感の中で受動的教育の人は私の面接では落ちます。

今後、AIが教育の分野にも当然浸透していきいます。勉強したい人には非常に高い効率で勉強できる一方、ずるをしようと思えばいくらでもできる、そんな教育の二分化が今後もっと明白になってくるかもしれません。