では具体的に、「部下が自発的に全力を発揮してくれるよう導く」優れたリーダーの資質とはどのようなものでしょうか?
「この人についていけば良い未来がある」と感じさせられるか読者ご自身の経験を振り返ってもらえばお分かり頂けると思いますが、多くの場合、上司のために頑張る時というのは、「上司がものすごく仕事ができる人間でカッコいいから」ではありません。
そうではなく、以下で述べていくように、「この人についていくと明るい未来が待っていそうだ」とか「この人についていけば安泰だ」といったことを感じさせてくれる存在がいる時、はじめて自分の能力の限界以上の努力を仕事のために捧げたいと思うのではないでしょうか?
メリットというのは、金銭やポストといった形の分かりやすい恩恵かもしれませんし、あるいは「この人についていくと楽しい未来が待っていそうだ」とか「この人についていけば安泰だ」といった精神的な要素かもしれません。
「リーダーシップを発揮しなければならない」シーンにおいて、必ずしも部下と仲良しでなければならないという話ではないが、少なくとも「Aさんは何を望んでいるのか」を知る努力をする必要があります。
たとえば、「俺は王になって国を作りたい!」という願望を持ったリーダー候補がいると仮定します。そして、家来の中に、
「私は生まれてからずっと旅に憧れていたんです。この国を隅から隅まで探索してみたいのです」
という人物が現れたら、彼に国土を隅々まで測量する役割を与えて、精密な地図を作ってもらう。そして、これを自分自身の国づくりに役立てる。
・・・筆者なりにひねり出した拙い例えではありますが、上述した「部下の願望や実現したいビジョンを汲み取った上で、役職者自身にとって達成すべき目標にいかに巻き込む」とは上記の例のようなアクションであると考えます。
逆に、たとえ「世のため人のため役に立ちたい」といった高潔な志を抱いてリーダーとなった人物であっても、フォロワーとして付いてくる人たちを権力で押さえつけたり、ことあるごとに「命令違反を犯した」として処刑したりしていては、関わる人達の害となるのはもちろんのこと、やがて離反され、自分の志自体も達成できなくなってしまいます(かつてのカンボジアの指導者・ポルポトがまさにこの典型的な例です)。
会社やその他の組織の中で、「リーダーシップを発揮すること」を期待された時の適切な振る舞いは、「権限を使って部下をグイグイ引っ張る」ことではないし、完全無欠の「カリスマ」を目指さなくてはならないわけでもありません。
むしろ目の前の部下の願望を実直に拾い上げ、彼(女)らの目指す方向性と自身の達成すべきビジョンをすり合わせることこそが、真に期待される「リーダーシップ」であると考えています。
提供元・アゴラ 言論プラットフォーム
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