企業を舞台にしたドラマや小説で描かれるリーダー像は、「ガンコ頭の人たちの反対を押し切って改革を成し遂げる」といったストーリー、いわゆる「カリスマ性を持った強いリーダー」として描かれがちです。
しかしながら、現実世界の企業組織で必要とされるリーダーシップは、必ずしもこうした劇的な役割ではありません。
そもそもリーダーは「改革すべき事情を抱えた腐った組織」ばかりでなく、「現在順調で、さらなる飛躍を求める組織」にも必要とされていることは言うまでもありません。
企業のトップが社内で役職者を任命して「リーダーシップを発揮してくれ」という言葉をかける時、期待する役割は「鋼のメンタルのリーダーが反対を押し切ってゴリゴリと既存のルールを打ち破っていく」といったものではなく、「部下のコミットを最大限に引き出すこと」です。
一般的な組織では、役職者に権限を与えつつも、できれば職権で無理やり部下を従わせるようなマネジメントは望んでいません。無理やり従わせられる従業員から最高のパフォーマンスを引き出すことはできません。
組織としては、できるだけ権限を振りかざすことなく、部下が自発的に頑張ってくれるよう導くことを期待しているのです。
本来、役職者が部下に対して強制力を発揮すべき場面は、どうしようもない問題を解決するための最終手段(例えば、同僚にセクハラを繰り返す従業員へ厳重注意を加えるとか)に限られます。いわば最終手段です。
にも関わらず、些細な問題まで役職者としての強制力で解決しようとするのは、適切なリーダーシップで部下の心を掴めなかったということであり、リーダーとしての敗北を意味します。
が、世の中の少なくない役職者がこのルールを理解せず、ちょっとした問題でもすぐに権限や立場を笠に着たコワモテ型のマネジメントで部下を統率するシーンが見受けられます。
繰り返しになりますが、権限によるリーダーシップで引き出せるコミットには限界があります。
目に見える形で反抗されることはなくとも、上司が気づかない部分で仕事の手を抜くといった形の反抗はあちこちの職場で見られます(読者の皆さんも、気に入らない上司や先輩から指示された仕事を手抜きで片付けた経験があるのではないでしょうか?)。
組織の中で昇進して部下を持つ身になった時、受け持つ部下は皆、最初は「立場上、仕方なく従っている状態」であり、そこから「たとえ会社を辞めてもこの人に従いたい」と思ってもらえる状態に持っていくのが理想的な形です。