大林ミカさんと私
大林さんと最初に出会ったのは、私が東工大時代に主宰した『学術フォーラム・多価値化の世紀と原子力』の公開講演会に、大林さんが何度か聴講しに来ていた2003、4年頃だったと記憶する。
最初の印象は、「笑顔に好感のもてるちょっとコケティッシュなひとだなあ」というものであった。原子力資料情報室の頃から存在は知っていたので、高木仁三郎仕込みの理論家かと勝手に思っていたがそんな感じは全くなく、どこかホンワカしていて、ややおっちょこちょい的なとこも垣間見えていた。
(大林ミカさんが世に出る前に何をしていたかやその頃の心情や様子は、原子力産業新聞の2007年11月8日第2403号に詳しい——大林さんの過去は謎でもなんでもない)
そんなことであるから、今回の事態にもあまり驚かなかったし、ミカさんらしいなあとも思った次第である。
こんな感じのする大林さんは2000年に副所長として、飯田哲也さんと環境エネルギー研究所を立ち上げた頃から、才能が一気に花咲いていった。2008年から2009年まで駐日英国大使館で気候変動政策アドバイザー、2010年から2011年までIRENAのアジア太平洋地域の政策・プロジェクトマネージャーと駆け上がっていった。
今次、大林さんはTF委員として河野規制改革担当相の知恵袋であり実働隊であったから、世間はこの期に一気にこの失態につけ込む形になった。
なお、河野太郎氏は外務大臣だった2018年にIRENAの年次総会にわざわざ出向いていって外務大臣としては異例の演説を行っている。外務大臣の所掌ではないという批判もあったがものともしなかった。大臣は演説のなかで日本の再エネ普及のレベルの低さを大いに批判し、世界に嘆いて見せたのである。
大林さんと河野大臣は、遅くとも2004年頃までには環境エネルギー政策研究所(ISEP)をベースにして繋がっていたと見る。2004年にはISEP所長の飯田さんらが中心となって、原子力政策の抜本的見直しを迫る『19兆円の請求書』を世に問うた。ここに、飯田さんや吉岡斉さんや鈴木達治郎さんらとともに名を連ねている。
また、このことを河野大臣は、2011年の3.11後に自身のブログ「ごまめの歯ぎしり」において、原子力政策の分かれ道と題してレビューするなかで原子力政策の見直しを強く主張している(2011.03.27)。
原子力政策の抜本的見直しと再エネの革新的推進は表裏一体なのである。