日本の国歌として知られる「君が代」。明治時代から全国的に歌われるようになったとされていますが、歌詞のルーツが鹿児島県にあるかもしれないことをご存じでしょうか。
そのゆかりの地とされているのが、薩摩川内(さつませんだい)市入来町にある「大宮神社」。恥ずかしながら鹿児島市在住歴の長い筆者も知らなかったので、実際に現地に行って確かめてみることにしました。
■ 「古今和歌集」がルーツじゃ?
君が代の歌詞のルーツは、平安時代の「古今和歌集」に収録された「読み人知らず」の和歌にまで遡ります。この和歌は、日本の国歌である「君が代」の歌詞が最も古い原型です。
一方、現在歌われている「君が代」の歌詞は、薩摩琵琶の曲「蓬莱山」が大きな影響を与えています。「蓬莱山」には、「古今和歌集」の和歌とほぼ同じ内容の一節が含まれており、これが現在の「君が代」の歌詞の基礎とされています。
であれば、薩摩琵琶の「蓬莱山」が現在の詞のルーツなのでは?と思うかもしれませんが、蓬莱山も参考にしたものがあるようなのです。それが、今回紹介する「大宮神社」に関する伝統芸能。
鹿児島県のホームページにある「君が代 発祥の地」というページの説明によると、「大宮神社」で神に感謝と祈りを捧げる行事として、700年以上踊り継がれてきた「入来神舞」のうち、「十二人剣舞」と呼ばれる演目の中で「君が代は千代に八千代にさざれ石の巌(いわお)となりて苔のむすまで」と声高らかに朗詠する部分があるそうです。
次に、鹿児島県神社庁のホームページにある「大宮神社 入来神舞」にある説明によると、「十二人剣舞」の中で朗詠されていた部分が、「蓬莱山」の歌詞として用いられた、とその経緯がより詳しく説明されていました。
話をまとめるとどうやら君が代の歌詞は、古今和歌集→大宮神社の入来神舞→薩摩琵琶の蓬莱山→君が代と、いくつもの文化を通じて、時には生まれ変わりながら歌い継がれてきたもの、ということになるようです。
ただし注意したいのが、「君が代は~」の歌は、蓬莱山、十二人剣舞に限らず、鎌倉時代以降に広く親しまれていました。よって、「古今和歌集→???→大宮神社の入来神舞」と、間にはまだいくつもの文化が挟まれている可能性も十分あります。
ちなみに横浜にも君が代発祥の地として、本牧山妙香寺に石碑が建てられていますが、こちらは君が代が初めて”演奏された地”としてのもの。また、同地は「吹奏楽発祥の地」としても知られていることから、それぞれ曲の発祥地(本牧山妙香寺)と、詞の発祥地(大宮神社)になるようです。