ところが錯覚だとわかっても、昭和保守は結論を変えないで理由を二転三転させた。高市早苗氏は「旧姓を公文書で使えるようにすべきだ」と主張し、総務相だったとき1000本以上の法律を改正したが、旧姓で仕事するためなら民法と戸籍法を改正すればすべて解決する。

「夫婦の姓が別になると一体性がなくなる」という反対論もあったが、それは当の夫婦が決めることで、他人が干渉する問題ではない――と一蹴されたら、今度の小中学生アンケートが出てきた。これも子供にも否定されてしまった。

ここまで産経が追い詰められたのは、昭和保守にもう守るべき価値がないからだ。かつては憲法改正が旗印だったが、安保法制で解釈改憲した今は、条文の改正に大した意味はない。残るのは男系天皇ぐらいだが、これも古来の伝統ではない。

男系男子の皇室典範は、明治政府の法制局長官だった井上毅の決めたものだ。万世一系の皇統譜は大正時代に宮内省の編纂したもので、その血筋を裏づける一次史料はほとんどない。多くの王朝では王位継承をめぐってしばしば戦争が起こったが、権力のない天皇の血筋には意味がなかったからだ。

今年は戦後80年でもある。昭和保守の脳内には、まだ80年前にマッカーサーに支配された屈辱が残っているのかもしれないが、そんな記憶はもうほとんどの人にはない。今年は昭和を清算して後ろ向きの話はやめ、未来に向けて日本をどう再構築するかを考えよう。