(前回:私的「この30年の中国」論②:北京で見た中国)
4年間の北京生活で、私は辛いリストラに耐えてWTO加盟後の大躍進を掴んだ中国という国にも、自立自助の風と人間としての幅を備えた(人が沢山いる)中国人にも魅了された。
縁あってお近づきになれたんだから、残り人生は中国の仕事をし続けたいと考えるようになった。経産省に戻ると中国担当の課長になったが、課長より上に中国の仕事を中心とするポストはないので、2004年に役所を辞めて、中国民営企業にベンチャー、プライベートエクイティ投資をするファンドの仕事をすることにした(このファンドの顛末は色々あったんだけど、連載の本題から外れるから割愛)。
中国経済の躍進は続いていたが、私が役所を辞めた頃から、民営企業を巡る雲行きがおかしくなってきた。具体的には;
リストラで売却された中小国有企業を買った人が「不当に安い値段で国有資産を取得した」と攻撃される(※日本でも赤字の「かんぽの宿」の売却で同じ問題が起きた。幾ら金をかけて作った施設も黒字になれないなら、資産価値はゼロ、マイナスだという事実を無視する誹謗中傷だ) いったんは認可された業種への民営企業の参入が許されなくなり、認可が撤回される(エネルギー、レアアース、金融関連など) 民営の炭砿や製鉄所が半ば強制的に国有企業に買収される
といった現象が散見されるようになった。本連載#2で「民進国退」の流れに触れたが、こういう雲行きをみて、改革派からは「これでは『国進民退』ではないか」という批判が聞かれるようになった。
なぜこんな逆転現象が起きたのか?私の理解はこうだ(これもかなり時間が経ってから思い当たった)。
天安門事件の後、改革開放政策に対する批判が湧き起こったように、中国共産党の体制内には、元々マルクス・レーニン主義を堅く信奉する保守派の人々がいて、よく「隠然たる力、勢力を持つ」と形容されてきた。 だが、1992年の南巡講話では、鄧小平が生涯最後の権力闘争で見せた気魄と民衆の熱狂的支持によって、押し戻しを図った保守派が逆に押し戻される結果に終わった。豊かさを求める民衆の声が勝敗を分けたのだ。