江沢民主席はこの巻き返し成功を見て、1992年10月に開かれた第14回党大会で「社会主義市場経済」の推進を党の公式政策に盛り込んだ。改革開放政策の再起動である。

私が仕事で中国に関わりを持つようになったのは、1994年、翌95年の発足が決まったWTOの仕事をするようになったためだ。WTOが最初に手がけた大仕事の一つが中国・台湾の加盟交渉だった。WTO設立に向けたウルグァイラウンド交渉が続く間、長く倉庫に放っておかれた事案であり、この年から私はWTO本部のあるジュネーブに出張しては、中国代表団や他の主要加盟国との交渉に参加した。

初期の交渉で加盟国側が真っ先に、そして繰り返し中国に質問したのが「改革開放はまた後戻りするのではないか?」だった。南巡講話からまだ日も経っていない頃、国際社会は中国のその後の進路はまだまだ不確かだと不安視していたのだ。

宮沢総理の上記発言はそんな時期に行われたものだ。改革開放路線が短期間に覆されることはないという前提に立つ一方で、長期的には経済発展した中国が軍事大国を目指したり、民主化から離れていくリスクを指摘している。

告白すると、中国屋を始めたばかりの私は、宮沢総理が懸念したような長期的リスクには全く思い当たらなかった。そこには1996年から北京に赴任し、大使館員として改革開放政策をかぶりつきで眺めた経験が大きく影響している。

(その②につづく)

編集部より:この記事は現代中国研究家の津上俊哉氏のnote 2024年12月31日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は津上俊哉氏のnoteをご覧ください。