黒坂岳央です。

「日本は生きづらい」という意見を非常によく見るが、実際にはアメリカの方がそう感じている人が多いというデータは見過ごされている(過去記事参照)。

理由は様々であり、病気や経済的事情など即日解決が難しいことも少なくないが、実は「解釈」で解決できるものがほとんどだと自分は考えている。

多くは「国や社会のせい」と他責にしがちだが、冷静に紐解いてみるとそのほとんどが執着、つまり自分自身が作り出していると言える。

自分自身、人生前半は非常に人生の生きづらさを感じていたが、執着を手放してからとても生きやすくなったと感じる。これ以外にやったことはないのに、まるで異世界にやってきたように人生は楽になった。その自己体験からも件の主張をしたい。

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我々はあまりに執着していないか?

仕事柄、ビジネスだけでなく人生相談もよく受けることがある。

「もっと収入がほしいのに会社がケチであげてくれない。評価してくれない」 「このくらい言わなくてもわかってほしい。家族なのだから」 「何者かになりたいが、SNSで注目されない」

実に様々な悩みがある。相談を受ける時は相手を否定せず、できるだけ共感を示しつつも「執着の度合いを下げていくと楽になりますよ」と答えるようにしている。自分自身、彼らの立場に置かれれば同じことをする。

こうした悩みに共通するのは「相手への期待値が高すぎる」ということなのである。

・収入が低い…相手から見て自己評価が高すぎる可能性はないか?収入を高める手段は昇給ではなく、転職を検討できないか?

・言わなくてもわかってほしい…家族でも別個体の人間であり、双子でも親子でも性格は全く異なる。気持ちは言語化して伝えなければわかってもらえないのは普通では? ・何者かになりたい…特別な存在になるには、特別な努力や実績が必要。非凡を望み、凡庸に生きる矛盾の可能性はないだろうか?