「玉磨かざれば光なし」の由来
ここからは「玉磨かざれば光なし」の由来を紹介します。
由来となった古代中国の書『礼記』の一文
「玉磨かざれば光なし」の由来は古代中国の書物『礼記』にあるとされます。
『礼記』は中国古代の儒学者がまとめた礼に関する書物を戴聖が編纂したものです。
その『礼記』に「玉琢かざれば器を成さず、人学ばざれば道を知らず」という言葉があります。
これは「玉は磨かなければ器にならず、人も修学しなければ道を極めることができない」ことを表しています。
実際に玉は磨いて加工しなければ価値が出ないのと同じように、人も勉学に励まなければ大成しないわけです。
この言葉が転じて「玉磨かざれば光なし」となったとされています。
別表現「玉琢かざれば器を成さず」は原文から来た言葉
「玉琢かざれば器を成さず」は『礼記』にある原文から来た言葉です。
言葉自体は「玉琢かざれば器を成さず」は玉を磨かなければ器にならないことを表します。
しかし、それが転じて玉は磨かなければ光も生まれないという意味で「玉磨かざれば光なし」と表現するようになったと言えるでしょう。