才能や素質を開花させるためには努力が欠かせないことを表したことわざ、それが「玉磨かざれば光なし」です。
しかし、そもそもこの言葉は何を意味するのでしょうか?
今回はそんな「玉磨かざれば光なし」がどのような言葉なのかについて解説します。
目次
・「玉磨かざれば光なし」とは
・「玉磨かざれば光なし」の意味
・「玉磨かざれば光なし」の用い方・例文
・「玉磨かざれば光なし」の由来
・由来となった古代中国の書『礼記』の一文
・別表現「玉琢かざれば器を成さず」は原文から来た言葉
・「玉磨かざれば光なし」の類義語
・艱難汝を玉にす
・瑠璃の光も磨きから
・まとめ
「玉磨かざれば光なし」とは
ここでは「玉磨かざれば光なし」の意味を解説します。
「玉磨かざれば光なし」の意味
「玉磨かざれば光なし」は、いくら才能や素質に恵まれていたとしても努力しなければ開花させることはできないということの例えです。
努力なしに立派な人間にはなれないという意味があります。
言葉自体はどれほど素晴らしい石(玉)であっても、磨かなければ光を放つ宝石のような存在にはなれないということを指しています。
転じて、鍛錬しない限りは人として成長できないという教訓となりました。
「玉磨かざれば光なし」の用い方・例文
「玉磨かざれば光なし」は優れた才能や素質を持っているにもかかわらず活かしきれていないような場面で使用します。
・例文1:天才と呼ばれる人たちは最初から天才だったわけではない。優れた才能や素質を活かすために努力した結果として天才となったのだ。まさに玉磨かざれば光なしと言えるだろう。
・例文2:やってみるまでわからない。玉磨かざれば光なしという言葉があるように自分の才能や素質は行動を起こして初めて向き不向きがわかるものだ。
・例文3:どれほどの才能や素質を持っていたとしても、玉磨かざれば光なしというように努力しなければ開花などしない。
このようにいくら才能や素質に恵まれている人でも、研鑽しない限りは成長に繋がらないということを例えて「玉磨かざれば光なし」と表現します。
他にもセンスはあるのに頑張れない人に対して教えや戒めとして使用します。
特に学業や修行の場で使用されるのが一般的です。