例えば、家の軒先には水桶と梯子を備えるよう命じられ、町中に防火用の井戸も掘られました。
また、薪の積み方にまで規制がかけられ、火災のたびに江戸の町並みが少しずつ「火を警戒する風景」へと変わっていったのです。
幕府は町方の営業も厳しく見張り、夜間の煮売りや深夜の不審者の巡回を禁止します。
やがて、花火や仕掛け花火も許されなくなり、火事の騒ぎにかこつけて浪人たちが騒ぐことも取り締まられるようになったのです。
挙句の果てには、風の強い日には家に戻れという厳命まで出され、屋根の上に番人を立てて火の監視を行うことまで始まりました。
こうして江戸の町人たちは、日々の生活にどんどん窮屈な規則を押し付けられていったのです。
しかしそのような努力もむなしく、江戸の町で火災が無くなることはありませんでした。
そのようなこともあって江戸の人々は「財産をため込んでいてもどうせ火事で燃えてしまうのだから、すぐに使った方がいい」と考えるようになり、これが「宵越しの銭は持たない」という江戸っ子の気風の遠因になったのかもしれません。
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参考文献
江戸の主要防火政策に関する研究
https://www.jstage.jst.go.jp/article/journalcpij/47/3/47_721/_article/-char/ja/
ライター
華盛頓: 華盛頓(はなもりとみ)です。大学では経済史や経済地理学、政治経済学などについて学んできました。本サイトでは歴史系を中心に執筆していきます。趣味は旅行全般で、神社仏閣から景勝地、博物館などを中心に観光するのが好きです。
編集者
ナゾロジー 編集部