きのこ栽培キットの販売から大麻農場の経営へ
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1977年9月3日、フロリダ州タンパで開催された「第2回国際菌学会議」において、ポロックは、同じく菌類学者のゲイリー・リンコフとともに発見した新種のマジックマッシュルームを「Psilocybe tampanensis」と名付けた。
ポロックは、学術誌「Journal of Psychedelic Drugs」などで、マジックマッシュルームが病気を治療し、生活の質を向上させる可能性について幅広く論じた。同時に、きのこ研究センター建設のために数百万ドルの資金調達を計画し、臨床研究を進めた。自閉症の子供たちにシロシビンを投与して良好な結果を得たと発表したり、きのこを採取するため南米を旅行したりした。数十の菌株と4種の新しいきのこを発見するという功績も残した。
一方、ポロックは「ヒドゥン・クリーク」という名前の会社を設立し、マジックマッシュルームの栽培キットを販売した。この栽培キット販売は合法だった。というのも、マジックマッシュルームの胞子には麻薬などが含まれていないため、胞子を販売すること自体は違法にならないからである。

ヒドゥン・クリークは雑誌に広告を出し、読者からの支持もあって成功を収めた。そこにはポロックの並々ならぬ情熱があった。当時のポロックのガールフレンドは「私たちはほとんど出かけませんでした……。私たちのデートは朝早くからきのこの瓶を振って過ごすことで、セックスはしばしば技術的な雑談によって中断されました」と語るほどだった。
残念なことに、きのこ栽培キットの販売だけでは、きのこ研究センター建設のための資金を集めるというポロックの目標は達成できなかった。そこでポロックがドラッグに目を付けた。テキサス州サンアントニオから数マイル離れた場所で大規模な大麻農場を経営し、12月に大麻を収穫して全国に郵送販売するつもりだった。街中の麻薬の売人は全員ポロックの名前を知っているほどで、最終的に麻薬取締局(DEA)の監視対象になったという。
ジャーナリストのハミルトン・モリス氏は、DEAはポロックの大麻農場を飛行機で爆撃しようとすると同時に、おとり捜査官がポロックから処方箋を受け取って、それを根拠に起訴しようとしていたと述べる。