黒坂岳央です。

昨今、あちこちで「スタッフも◯◯させていただいております。ご理解の程よろしくお願いします」という張り紙を見る。筆者のよく行くスーパーにも「水分補給をしております」「トイレも共同で使用します」といった張り紙がある。こうした張り紙があるということは、それだけクレームを付ける人がいるということだ。

得にしつこく叱りつけ、意見の域を超えるような一部のクレームは、カスタマーハラスメント(以下、カスハラ)に定義してもよいだろう。窓口でその対応をさせられ苦痛を受けるスタッフもまた、労働者だからだ。

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我が国は人手不足で労働生産性を高めなければいけない中で、こうしたクレームやカスハラはサービス業で大きな足かせになる。

「お客様は神様」は本来、販売者側が持つべき哲学だったと思うが、いつの間にか購入者側が強く意識するようになってしまった。これまでは真摯にクレーマーにも対応していた店舗も多かったが、もはやどこも限られた労働者の奪い合いで、そんなムダな労力を使う余裕はないはずだ。クレームを付けない大多数の人からは理解できない、彼らの心理を論考したい。

クレーマーの価値観

そもそも、なぜクレーマーが理解不可能な文句をつけるのか?まずはその思考回路を理解する必要がある。自分は人生でこのようなクレームを付けたことは1度もないので、あくまで仮説の域を出ないがあながち的外れでもないと思っている。

理由はズバリ、ストレス解消である。人間は普段、自分がされていることを他人にもする。優しくされた人は他人にも優しくするものだし、その逆に辛く当たられている人は他人にも同じことをする。つまり、忙しく働く店員さんの粗を見つけてグチグチと文句をつけるのは、普段同じように自分たちが上司や取引先からされていると「感じている」人種と推測ができる。

一方的にストレスを溜め込むと精神的な均衡が取れない。故に自分より立場が弱いものへ怒りをぶつけてストレス解消をするのだ。ちなみにクレーマーが一番恐れるのは相手からの思わぬ反撃だ。過去記事クレーマーも外国人コンビニ店員に弱腰な3つの理由で書いた通り、ネームプレートを外国人名にすると彼らは恐ろしくてクレームは付けられないのだ。

さらに客観性の欠如があるだろう。一般常識を持つ人ならある程度の客観性がある。故に自分が愚かで迷惑行為を客観視できる力があれば、忙しく働く相手のじゃまは申し訳なくて普通はできない。しかし、彼らはこの客観性がなく、視野狭窄に陥っているからこそ自分の行動を省みないのだ。