ICCとICJがイスラエルとアメリカに批判的な内容の動きを示したことによって、アメリカが推進している「ルールに基づく秩序」を揶揄する言説が、世界的に流通している。「国際法」を守る気がないのに、他国に「ルールに基づく秩序」なるものを説教するアメリカの立場を揶揄する言説だ。アメリカが押し付ける「ルール」とは、アメリカに都合のいい「二重基準」のことであり、「国際法」を遵守する「法の支配」とは真逆だ、と感じられてしまっている。

元イスラエル政府スポークスマンは、「ICJが(戦闘中止命令で)『ルールに基づく秩序』を破壊した」とSNSに投稿した。

他方、数多くの人たちが「ルールに基づく秩序」なるものは、アメリカが「ルール(rule:支配する)秩序」のことでしかないことが白日の下にさらされた、と感想を述べている。

日本政府は、G7広島サミットを開催した際には、国際社会に「法の支配」を強調していた。岸田首相自らも、繰り返し「法の支配」の概念を参照していた。

G7広島サミットの重要課題 外務省

上川外相は、外相就任間もない頃に、わざわざハーグに行ってICJ(国際司法裁判所)とICC(国際刑事裁判所)を訪問したうえで、「国際社会における「#法の支配」の強化のための外交を包括的に進めていきます」と述べた。

だがこれは、アメリカと一緒になってロシアを非難し続けることが、日本外交の基本姿勢になった、と認識していただけの時代のことだ。昨年10月以降のイスラエルのガザにおける軍事行動に国際的な非難が集まり、アメリカだけがそれを擁護する構図がはっきりしてくると、次第に、日本政府関係者は「法の支配」を口走らなくなってきた。代わりに使うようになってきたのが、アメリカ仕込みの「ルールに基づく国際秩序」だ。

アメリカが同席する経済問題の会合に出席する場合、アメリカの意向をくんで中国をけん制して太平洋島しょ国と会議を開く場合などは、「国際社会における法の支配」よりも「ルールに基づく国際秩序」の方が都合がいい。

おそらくは、岸田首相も上川外相も、当初は、それはほんの少しの言葉遣いの調整の話で、基本的には「国際社会における法の支配」よりも「ルールに基づく国際秩序」も同じ意味だ、と信じていたかもしれず、今でも問われれば、そう答えるだろう。

しかし、もはやそんな危機意識のない認識が許される情勢ではない。両者は、はっきりと分裂している。

もし日本だけは、両者が一致する世界を求め続ける、というのであれば、精緻で体系的な説明を用意したうえで、相当な外交努力を払っていかなければならない。

実際は、全く逆に、ICCに対しても、ICJに対しても、イスラエルが関わる案件となると、日本政府関係者は途端に歯切れが悪くなり、とにかく曖昧な態度に終始し続けようと頑なになる。

「それは仕方のないことなのだ」という確信が、政府関係者の間で共有されているのだろう。「ウクライナとロシアの話をするときには、どこまでも歯切れよく行きますから、そこだけ見ておいてください、中東の話になったときには、もちろんそういうわけにはいきません」という態度をとることに、総意があるようだ。

国際政治の現実は厳しい。簡単に言語明瞭な態度だけを取り続けるわけにはいかない、と言えば、一般論としては、そうだろう。しかし「とにかく曖昧にさえしていれば、必ず上手くいく」という考えに、何か根拠があるわけではない。先行きの見通しがつかないので、やむをえず曖昧な態度に終始しているだけだ。それなのに、根拠のない正当化を図るのは、長期的には、むしろ非常に危険なことであるかもしれない。そもそもこの態度は、日本の国益を精緻に計算したうえで選択したものであるというよりは、イスラエルに泥沼に引きずり込まれているアメリカに気を遣ってお付き合いをしていることの結果でしかない。本当に合理的計算に基づいた妥当性がある態度なのかについては、大きな疑いの余地がある。

果たして日本はこの「二重基準」の態度で、長期的に外交を上手く進めていくことができるのか?

提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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