黒坂岳央です。

社会的な成功者、一流の社長が成功した秘訣を尋ねられると「運に助けられた」という回答をすることが少なくない。サラリーマン時期に起業を目指していた頃、そうした発言の意味がよく分からなかった。宝くじをひたすら買い続けているわけでもないのに、なぜ成功の秘訣が「運」なのか?

自分は大成功者などではないが、今はこの言葉の真意をよく理解できる。過去にメディア取材を受けた時に「なぜこれはうまくいったと思いますか?理由を教えてもらえますか?」と尋ねられた時に「運が良かったから」と答えたことがある。

「運が良かった」というのは謙遜ではなく、本当にそう考えて出てきた言葉なのだ。

sdominick/iStock

この世は「運」の戦い

昨今、生まれつきの才能や外見、実家の太さなど生まれ持った要素で人生が全部決まってしまうかのような風潮である。親ガチャ、上司ガチャという言葉をよく見る。人生は配られたカードで勝負するしかない、という言葉通り確かに先天的な条件下での戦いである本質を否定するつもりはない。

しかし、それですべてが決まるほど世の中は厳しくも甘くもない。豊かな才能を持って生まれても、それを活かさなければ凡庸で終わるし、誰もが目を見張る天才的な才能でなくても他者による運で人生を切り開く人だっている。才能や実力だけでなく、たまたま時流に上手に乗ったり運命的な人との出会いで人生はひっくり返ることは少なくない。

たとえば友人からの勧めをどうしても断りきれず、優良な小型株を買った。本人は購入したことも忘れて月日が流れ、価格が急上昇して一生分の資産になったという話。また、マッチングアプリで嫌な思いをたくさんした人が退会直前に運命の出会いを果たして幸せを掴んだという話。これらはすべて「運」である。

時に運というのは、生まれつき与えられた才能や親の経済力など、所与の条件を問題にしないほど大きな力がある。