「ポツダム会議」といわれれば、世界史を学んできた読者ならば、第2次世界大戦中の1945年7月、米国、英国、ソビエト連邦3カ国の首脳が、ナチス・ドイツと日本両国の戦後処理について話し合った歴史的なポツダム会議(当時ソ連占領地)を直ぐに思い出すだろう。

ワイデルAfD共同党首(AfD公式サイトから)

ところで、2023年11月、ドイツ連邦州のブランデンブルク州の都市となったポツダム市(人口約18万人)でドイツの極右政党「ドイツのための選択肢」(AfD)や欧州の極右活動家や実業家たちが結集して今後の活動目標などについて話し合っていたことがこのほど明らかになり、ドイツ政界に大きな衝撃を与えた。研究プラットフォーム「コレクティブ」が報じた。そこでもう一つの「ポツダム会議」について緊急報告する。

ポツダム近くのレーニッツゼーのホテルで開催された会議にはAfDのアリス・ワイデル党首の側近も参加し、「外国人、移民の背景を持つドイツ人、そして難民を支援する全ての人たちを強制移住するためのマスター計画」(Masterplan” zur “Remigration” von Auslandern, Deutschen mit Migrationshintergrund und generell allen, die sich fur Gefluchtete einsetzten)などについて議論していたというのだ。

ポツダムのレーニッツゼーでの会議の参加者の中には、ザクセン・アンハルト州議会のAfD会派リーダー、ウルリッヒ・ジークムント氏、バイエルン州のAfD連邦議会議員ゲリット・ホイ氏、元AfD連邦議会議員のローランド・ハートヴィッヒ氏(ワイデル党首の個人顧問)らも含まれていた。

同会議にはそのほか、オーストリアの最大極右組織「イデンティテーレ運動」(IBO)のリーダー、マーテイン・セルナー氏の姿もあった。同氏はニュージーランド(NZ)のクライストチャーチで2019年3月15日、2カ所のイスラム寺院を襲撃し、50人を殺害したブレントン・タラント容疑者(28)から寄付金を受け取っていたことが判明し、物議をかもしたことがあった(「欧州の極右は『三島由紀夫』ファン」2019年8月30日参考)。

ちなみに、ドイツのメディアによると、セルナー氏は会合で、北アフリカに最大200万人を収容する「モデル国家」を構築し、難民を収容するという考えを提示したという。第2次世界大戦の初めに、ナチスはヨーロッパのユダヤ人400万人をアフリカ東海岸の島に移送するという「マダガスカル計画」を検討したことがあったが、セルナー氏の「モデル国家」はそれを想起させる。

ドイツの高級週刊紙のオンラインは「オラフ・ショルツ首相や他の多くの政治家は、右翼過激派とAfD政治家らの会合を厳しく批判し、連邦憲法擁護局(BfV)は民主主義が危機に瀕していると警告を発した」と報じている。またドイツ民間放送ニュース専門局ntvは「AfDの政党禁止」をテーマに「ポツダム会議後、AfDの禁止は可能か」、「政党禁止は賢明か」という観点から報じていた。

ポツダム会談の開催が明らかになると、「AfD内に反憲法的な取り組みがあり、したがって禁止の理由がある」というAfD禁止支持者の意見がある一方、CDU(キリスト教民主同盟)のリンネマン書記長のように、「AfDを禁止するか否かの議論はAfDをさらに強くするだけだ」という慎重派の声がある。ドイツでは1950年以来、政党が禁止されたケースはない。それだけに、政党の禁止については、関係者も慎重にならざるを得ない事情がある。

参考までに、ドイツでは2017年、連邦憲法裁判所は極右政党NDP(国民民主党)の禁止要請について、「NDPが違憲性のある政党である点は疑いないが、国や社会に影響を与えるほどの勢力ではない」として却下したことがある。それ以後、ドイツでは政党の禁止請求は受け入れられない、という考えが政党関係者にはある。